長い文章を書きたい

長い文章を書きたい人のただの日記

SUMMER SONIC2019でTHE 1975をみた

サマソニでみるのは2014年以来。あのときは割とすいてて前の方でも自由に踊れた。今回はパンパンだ。

 

今回のサマソニは個人的には2枚目のアルバム発売後初のライブだったわけだけど、ライブで聴いて思ったのはものすごく内省的な音楽になったなということ。

ファーストアルバムでは、自分と世界とのつながりはおそらく個人で認知できるごく限られた世界だったのではないかと。それが一気にスターダムを駆け上がった彼らの状況は目まぐるしく変わっただろう。彼らを踊れるバンドだと、イケてるバンドだと、そう思うファンがどれほど増えただろう。

 

今回のサマソニでのマシューは痛々しかった。叫んでいるのにどこにも誰にも届いていないような歌い方をして、バンド自身も閉ざされていた。もちろん暑くて酒を飲んで多少具合が悪くなっていたのはあると思う。でもステージで酒を飲むのはずっと前からでしょう。

あんなに大勢の人が見ているのに、誰もマシューを助けることができない。彼の声はどこに届いているんだろう?彼のメッセージは音楽にもステージ上の映像にも出ているはずなのに、誰もが"イケてる"としか認知していないのではないか?彼のメッセージを受け取ってくれる人はいないのか?

 

なぜだかひどく苦しそうに見えて、ファンが笑顔で踊っていてもマシューには、バンドには笑顔がない。どうして?それが彼らの今のスタイルだから?

あんなに叫んでいるのに誰も気づいてくれないのはどれだけ苦しいことだろう。叫んでいるのはわかるのに何を叫んでいるかがわからない。わからないよ。

 

彼らのステージは孤独でいっぱいのように見えた。

BB(Before BON)

シロクマがたくさん描かれたエプロンを着けているおばさまと2人きりのコインランドリーで、洗濯機からのソフト剤注入の合図を待っている。ソフト剤注入の合図はその時々によって微妙に時間が異なるので洗濯機の前で待っていなくてはいけない。先日はちゃんと合図を待っていたのに、本に熱中しすぎてソフト剤を入れ忘れてしまった。少しつらくなったがまあ仕方ない。今後気をつける。

座っている自分の後ろには乾燥機があり、中には放置された洗濯物。蓄熱を防ぐために10分に1度数回だけまわる。なかなか取りに来ませんね。はやく取りに来てもらえるといいですね。

いい加減洗濯機が欲しいと思う。どうにか8月、盆休みの間にでも家電量販店に行き洗濯機を購入したい。

 

盆休み前なので今週はいろんなことを手際よく済ませていかなければならず、しかし暑さゆえなかなか動く気にもならないため、夜21時を過ぎてやっと洗濯をする。盆は7日ほど帰省するため、その間自転車を駐輪場に置いておくのが不安になったので部屋に入れた。クロスバイク重すぎる。エレベーターにクロスをのせるのに手間取っていると、同じマンションの人が帰ってきてエレベーターのボタンを開けてくれて助かった。めっちゃサブカル女子って感じ。よくよく思い出してみるとAwesome City Clubの曲をまあまあの音量でヘッドホンではなくそのまま流しっぱなしでいたのでちょっと面白い。そして今コインランドリーで隣にいる。ウケる。

 

今夜は月がきれいに見える。

7/30

起床。洗濯物の様子を見る。窓を開けて空気の入れ替え。室内は30℃。エアコン入れて寝れば良かったな。コンロでパンを焼く。その間に弁当を詰める。バナナジュースを作る。朝食。着替え。化粧。カバンにものをつめる。自転車で会社へ。7分ほど。本日の最高速度は時速35キロ。前を走っていたロードの人についていったらそれくらい出た。ハンドサイン出してくれる良い人だった。

仕事。ぼんやりしながらなんやかんやする。昼食。仕事。アールグレイ飲む。煮詰まる。あしたに持ち越し。

自転車。時速20〜25キロほどで走行。下りで37くらい出てビビる。

書き出してみても大まかには覚えているが細かなところがもうすでに覚えていない。味気ない日々。

 

マンションのロビーに親切な少年がいた。それだけできょう1日は良かったのだと、そう思える気がする。

耐える

パラレルワールドの自分ではなく全く違う誰かになりたいと思うことが増えてきた。

これは自分以外の何かになりたいということなんだけど。パラレルワールドの自分と自分以外の何かとの間にはどれだけの差があるのだろう。パラレルワールド上で異なる選択をした私は今の私と違うのでは?と思う。見てきたものも何もかもが。人間の性格は後天的に決まるものは少ないというので基本的なところは一緒だったりするのかな。

まあとにかく、とにかく自分以外になりたい。

 

やっとひと段落ついたけれどいつどこで足元を掬われるかわからないのでヒヤヒヤする。今は全てがうまくいっていない、ような気がする。たまたま今回は褒められたけど、ミスがあったことはたしかなことで、そのミスは今後まだでてきてもおかしくない。

 

いつか終わりがくるのではないかという不安な気持ちと、どうせ終わりがくるのならば好き放題やってしまおうという気持ちが交互にやってくる。

6月末

さて。6月も終わりにさしかかり、日々の収支を見直してみたり、毎朝の化粧があまりにも面倒で最近は眉毛を書き口紅を塗るだけのままで出社している。肌の調子は少しだけ良くなった気がする。

次の給料のことを考え、その給料は生活するためにほとんど消えていくので、結局何も買えやしないと気づくのをもう何度もしている。

 

夏至だし銭湯に寄って帰ろうと思ったのに何となく銭湯の前で気分が乗らなくてそのまま帰ってきてしまった。銭湯行きたいなあ。休みの間に行くのか、平日夜に行くのか迷う。平日夜はちょっとしたご褒美感があるし、休みの日に行くのは休みを満喫している感があるしで、どちらも良い。

そのあと薬局に寄って次に使うシャンプーをどれにするか一通り悩むも結局決まらず帰宅。あと1週間分くらいはあるので、その間だけたっぷりと悩んでみることにする。シャンプーはいつだって買える。

 

生活に面白いことは何もなく、ツイッターとテレビを眺めて1日は終わる。時々本を読む。毎日1時間程歩いている。ローズマリーは復活せずに枯れてきた。ベランダに出しっぱなしにしている。もうこれからは風通しのいいところにいてくれ。部屋のこもった空気の中に置いてごめんよ。

 

インストアライブ中にずっとSNSで状況を伝え続ける繋がりたいがための音楽好きポーズなんてクソくらえだと思う。

ここから先はいつも書いていることと同じだったので以下略。

 

 

冷却

空腹なのに食べたいものがわからないことが数日続いている。土日は人と会っていたので外で済ませたが、平日がきてしまうと、さあどうしたものかと頭を悩ませる。朝食はおにぎりで固定、昼食の弁当は作り置きを使うとして、夕食は自分で簡単に作れるものになる。外に食べにいく元気もない。それこそ食べたいものもないことだし。結局決まらず、なんとなく冷蔵庫にあるチーズをかじってみたりしているうちに諦めがついて、食べたんだか食べてないんだかわからないまま1日が終わる。これまでは仕事中も夕飯の献立を考えていたのに、最近はもう何にも思い浮かばない。人間らしい欲求が強いとき、その欲求に息苦しさを感じるときがある。生のにおいが無理なときがある。

 

自分はメガネにまつげの先が当たってメガネが汚れてしまうのだけれど、これはまつげが長いせいだとずっと思ってきた。しかしどうも違うらしい。これはメガネを鼻でかけられないせいらしい。メガネをかけるほどの鼻の高さがない。ので、メガネは耳に引っ掛けられているものとなり、鼻当ては鼻に当たらず眼球との距離は近くなり、まつげが当たる。鼻が高い人がメガネをかけている姿をまじまじと眺めてやっとわかった。メガネがこんなに汚れてしまうのは鼻が低いからだったんだね。

 

渋谷駅に降り立ち食傷気味になりながらホテルコエに。フリーライブをみながら思ったんだけど、いい音楽聴いて踊ったりニコニコする!というよりも自分は一生なれない自分以外の何かをみたいがために、自分の人生から逃避するために音楽を聴いている節があるのかもなと思った。苦しくなる音楽がある。無性に悲しい。自分ではない何かになれないことが。

音楽を聴くための人生ではない。人生を送っていく上で必要なものだったんだと思う。でも、ふと今まで集めてきたCDやらなんやら、とにかく音楽に関する全てを手放してみたら変わるかもしれないと思った。できるのだろうか。

自分のいささか暑苦しいところが苦手で、でもそういうところから離れられなくて、いやになる。自分ではない誰かになれたらな。もう少し冷んやりとした人間になりたいよ。

 

東京にきて良かったと思うこと6割、どうしてここにいるんだろうと思うこと4割。元気です。

湿気のひどい時期が来た。

洗濯物の心配くらいしかない。

 

本屋に行くたびに「気にしすぎるあなたへ」「繊細な人のための本」「気を使いすぎない方法」などの本が平積みになっているのを見かける。売れるんでしょうね。ということは、世の中にはこれを求めるだけの繊細な人がいるんだなとわかる。これを買う人たちには、そのことについて考えてほしいなと思う。それだけ繊細な人がたくさんいるということを考えたりするのかな。どうなんだろう。人間はもろいと思う。自分だけでなく他人も。部位は違うとしても。

 

こうして日記を書いて公開しているわけなんだけれど、自分の文章はああやっぱりお粗末ね、と思う。文章のうまい人たちは本当にゴロゴロいて、比べる必要もなんてどこにもないんだけど、その人たちの文章を読んだ後には自分が何かを書くことにどれほどの意味があるんだろうと思ってしまう。文章を書くことに自信がめちゃくちゃにある人はすごいと思う。ある一定の人々は客観視できていないという意味でだけれど。