別れた話

恋人と別れ、ああもういろんなことに気を揉まなくていいんだと思うとホッとした。常に連絡をしなくちゃいけないかもしれないという焦りから解放された。別れを切り出したのは相手からだった。間違いなく悪いのは私のほうだ。

会った瞬間に「やせた?」と聞いてきたけれど痩せたんじゃなくてやつれたんだし、前髪を切ったからいつもと違って見えたんだよ。元恋人は気づかなかったけれど、2週間ぶりに会う人たちは気づいてくれた。多分だけれど、元恋人と私は合わなかったんだろうな。

 

ここ数年間にも何人かと付き合って別れた。大抵がワクワクもなくただ存在するだけといった感じで、ワクワク感の伴うお付き合いは1人くらいだったと思う。会うのが億劫に感じ、ストレスになるのはなぜだろう。18歳あたりからは本当に恋愛がそばにあり、好意を向けたし向けられた。にしても本当に連絡を取り合うのが苦手すぎる。即レスされると戸惑ってしまうがそれが普通なんだろうなと思う。なんとか頑張って即レスすることもあるが10分続けるのでもう限界だ。そもそも無理だからさ…。SNSの発展には感謝したいが最近開催されていたSNS展の展示のようにはあまり思わない。煩わしいと感じることの方が多い。

 

恋人と別れたことで、ああいよいよ私はこの土地から離れるんだろうなと強く感じた。新しい場所の住所、都道府県以下についてはもう両親以外には教えたくないと今は思っている。いや、もしかしたら本当にごくわずかいる友人数人には教えるかもしれない。わかんないけど。

新しいことがしたい。

5月も終わりだ

長袖と半袖をいったりきたりしている。暑くなってきたので先日衣替えをした。夏でも長袖を着るので今のところそこまで困っていない。しかし夏に着る長袖はシャツが多いのでアイロンをかける量が増えて面倒だなと思う。アイロンをかけるのは好きなほうだけど。UVカットできるカーディガンを買い直さなければならない。カーディガンでUVカットができるなんてすごい。また手の甲だけ焼ける。宝飾店の人がするような手ぶくろでもしようかな。

 

実家のクロスは拭いても拭いても拭いても拭いても汚れが浮き上がってくる。どうやっても落ちない汚れ。クロスを変えるということでしか解決できないらしい。人間みたいだなと思う。

 

最近はどんな出来事も人間みたいだとか人生みたいだとか人間関係みたいだと思う。当てはめてみることにどんな意味があるんだろう。滑稽だよな、何にも知らないくせに。どういう意味だかさっぱりわからない。

 

コーヒーショップで見かけたクッキーのレシピでクッキーを焼いた。ココアクッキーの中にチョコレートチップが入っている。焼いたときに生地が広がって大きな歪なクッキーが焼きあがった。このままだと食べるとき困るなと思って温かいうちに包丁で切っておいた。クッキーは焼きたてより冷ましたもののほうが美味しいなと個人的には思う。今回のこのクッキーは当たりだった。コーヒーショップありがとう。美味しいクッキー!!!!!!

 

ベッドの上には枕と掛布団以外置きたくないと思いながらぬいぐるみやら抱き枕やら本やらが転がっている。

 

夜の気候が気持ちいい。

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5/27 - 試験後

全く試験ができず、ああもう終わりだ…もうダメだ…となった。むちゃくちゃタバコが吸いたくなってタバコを買って吸ってみるけれど久々すぎてうまく吸えなかった。アホらしい。

今までで一番タバコがまずかった。

 

だるい。もうしばらくは何もしたくない。好きなことだけしたい。ゆるく冷房のはいった明るすぎない部屋でぼんやりしたい。

 

最近は眠れているのか眠れていないのか曖昧な感じが続いている。以前のように眠ったなあという満足感がない。そこだけ記憶が抜け落ちているだけなのかと思うくらい。ウケる。

 

書きたい気持ちはあるのに書けないな。ありゃりゃ。犬に会いたい。

5/25 - 枠

友人たちのインスタストーリーには日々同期との楽しげな様子、電車内での写真に添えられた憂鬱そうなもう無理だといった文面、ウチらマジ変人といった内容が並んでいる。同期らしき人たちとカラオケで肩を組んでGReeeeNのキセキを合唱していた。あっ無理、と思った。

青春の違いかもな。

 

狭い単身用の部屋でのカップルのことについて歌ったものなんて使用済みのゴムをペチペチ振り回しているようなもんだよなって時々思う。行為についてやたら語る人を見るとうんざりするのと同じ感じがする。割とうんざりするほど使われてきた題材のはずなのにまだこれほど支持を得られて、時にはいいじゃないかと思えるのは不思議なものだな。湯船に一緒に浸かっただとかどうとかさ。恋愛についての歌は大抵同じ感じがする。恋愛って割と共通認識のもとにあるのかな。そんなはずないと思っているけれど。恋愛はあまりにもあらゆる題材にされすぎていて、そういった題材から知らぬ間に吸収しすぎて、よく言われる恋愛という枠組みだけで判断してしまっているのかもしれない。いや、わからん。

 

説明があるというのはありがたいとも思うが、説明されすぎると鬱陶しいなあとも思う。受け手に委ねてしまえばいいのにねと美術館での説明が多いキャプションを見ながらたまに思う。

そういう意味では国立国際美術館でやっていた「トラベラー展」は説明がなかった。本当になかった。笑えるくらいに。しかし決して見所がないわけでもなく、半分見るのに3時間かかった。ウケる。実を言うと全てを見ることができなかった。後日再訪しようと思っていたができず、そのまま終わってしまった。一応駆け足でサラリと流し見たけれど不十分だ。惜しいことをしましたなぁ。説明がある、しすぎるのは正しく見てほしいだとか全て受け取ってほしいという気持ちがあるのかもしれないな。枠組みを決めてしまうことが絶対悪ではない。

 

眠ることしかできない

つらくてどうしようもなくなったとき、もう何もできないとなったときには、とにかくしゃがんでほしいと言っている。そう言ったんだけど、しゃがむのって難しいね。でもしゃがめなかった私はまだ大丈夫だ、きっと。

 

細々とした悲しいこと、つらいことが積み重なって話すこともできないとき、無性に悲しい状態になる。わんわん泣きたいけれどそうもいかず、かといってうまくストレスを吐き出すこともできずにいる。吐き気がする喉を締めて、泣きそうなのを堪えて、駅ビルのトイレに駆け込んだ。そういえば小学生の頃、学校のトイレに似たような理由でこもってやり過ごしたことがある。

それでも体だけはいつだって健康だ。

 

1年と数ヵ月ぶりに訪れた火葬場は変わらず、穏やかな雰囲気でそこにあった。近くの新しいショッピングモールとの差にくらくらする。

これでもかと言うほど花をしきつめたはずなのに、花があまってしまった。それだけ用意したんだろう。もらってきた花は満開だったこともあり早くに萎れてしまった。花が萎れていく姿もまた悲しい。捨てられずにいる。

 

毎日は変わらず進んでいく。生きる日数はどんどん減っている。いつ終わりが来るかはわからないけれど。

 

話を戻して、悲しさを感じたとき、私は何がそんなに悲しいんだと自分にいつも聞く。何がそんなにつらいのか、何が認められないのか、どうしたいのか。満たされているはずなのに、ないものねだりをしているだけなんじゃないか。確かに今の私はほしいものを手にしてひとまずの将来への安心は手に入れている。家もあるし家族も元気だ、問題は抱えてはいるけれど。それでも悲しいのは自分にとって納得できるものを得ることができていないからだと思う。期待に応えることができないことがとても悲しい。期待に応えることができないのなら私なんて必要ないのではないかと思う。いつまでたっても自己肯定ができないのは問題だ。

 

ストレス発散方法のようなものが眠ることしかない。本当に帰宅即就寝といった感じだ。とにかく眠る。

5/7!

熱に浮かされた頭で書くと面白いんじゃないかと思って書いてみる。

 

せっかく服をクリーニングにだしたのに土砂降りの雨によりぐちゃぐちゃになった。あまりの土砂降りで、かつ全く知らない土地を歩いていたのでだんだんと面白くなってきてニヤニヤしながら歩いた。思えばこうして雨に濡れて冷えたことも風邪の原因かなと思う。コンビニでオレンジジュースと三ツ矢サイダービーフジャーキーを買った。さくら肉の燻製を食べてからなんとなく似たようなものを欲している。手頃にジャーキーなどを買う。エゾシカなどジビエと呼ばれるもののジャーキーが食べたい。帰宅してからベッドの上で掛布団にもたれかかり毛布を被ったへんな状態のまま寝てしまった。

 

いろいろとダメになったら岐阜の恵那眼鏡で職人になろうかと思っていましたが、何とかなりそうです。眼鏡職人の夢は持ち越し。

しかしこれで終わったわけでもなくまだまだまだまだ続いていく。やるぞ〜。

 

大した予定がない休みは本当にもう化粧をしたくない。化粧をしばらくしないと調子がいい。

 

寒気がする。しかし布団の中にずっといると暑くてたまらなくなる。どうしたもんかしら。帰宅してから寝ていたのでそんなに眠くない。新しい体温計は文字が見やすくてはやいのですごい。熱がでるとおでこに手を当てたときおでこの方が冷たく感じる気がする。

 

あしたは眼科に行かなくちゃいけない。あと各種証明書の発行。面倒だなあ。あしたも雨だ。

 

ものすごい分量の物書きができる人はすごいなあと思った。私はやったこともない。

 

海に行きたい気がする。

 

可愛げと才能を持ち合わせている人、ずるいけど好き。

 

あなたが見ている世界を私も見たいし感じたいわー、なんてことを最近はよく思う。どう見えているんだろう。毎回ハッとさせられることがあり、そして完全に理解することができないもどかしさを感じる。もしかしたらわざと曖昧にしているのかもしれない。私もいろいろ曖昧にしてみようかなぁ。今でも曖昧なのかな。よくわかんないな。

 

ネットにはあけすけに書いているようで書いていないという状態ができたらいいなあと思う。

 

だれか白熊アイスとアップルジュースを買ってきてほしい。

2017年夏について

なんとなく自分のインスタグラムを見ていて思ったのは、2017年の夏は夢みたいなことばかりだったなあということ。

 

2017年には念願のフジロックに行くことができた。The xxの素晴らしいステージ後のGorillazのさらに上をいく素晴らしいステージ!あんなにも素晴らしいステージが、素晴らしい夜があるなんて思いもしなかった。どちらも前から2列目あたりにいたお陰で近くでみることができたし、あのデーモン・アルバーンの手を握った!目の前にあったあの顔、自分だけでなく周りの人たちの興奮、そのあと号泣したこと含めて一生忘れないだろうなと思う。本当に素晴らしかった。そしてフジロックは過酷だった。フジロックのあとは風邪をひきました。それ含めいい思い出だ。

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中津川ソーラー武道館にも行った。キャンプしてさ。2日目の朝から体調悪くて1人で会場の芝生で寝てたな。NakamuraEmiをみて号泣して、その姿を知り合いに見られて気まずくなったなぁ。私はa flood of circleが大好きで、彼らのトリのステージをとても楽しみにしていた。ものすごいパワフルで輝いてた。セトリもよかったんだ〜。終わってからダッシュクラムボンみにいったのも覚えてる。中津川ソーラー武道館は毎年似たようなメンバーで行く何となくの恒例になっているけれど、今年はないかもしれない。行くとしてもキャンプではないかもなぁ。

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2017年の夏はなにかと東京に行っていた。東京のことがいくらか好きになり、そして全てが思い出になって二度と繰り返すことのないものになった。きっともう行かないだろう場所、近づきもしない場所、アスファルトの照り返し、新宿での待ち合わせ、振込できずバスに乗り過ごして急遽お金をかしてもらって新幹線に乗ったときの申し訳なさ、アンスタンドのカフェオレ。どれもキラキラしている。戻ってこないから、同じ人と同じことを繰り返したくてももう繰り返すことはない、できないからこそ余計に輝いて見えるのかもしれない。

 

旅行もした。どれも死ぬほど暑かったし楽しかった。札幌、岐阜、金沢。どれも今住んでいるところより涼しいはずなのに涼しさを感じなかった。札幌については住んでいるところより気温が高いという猛暑日だった。どれも楽しかったなぁ!温泉行ったりしてさ。

良い展覧会にも行った。岡崎乾二郎の講演会をきいて新しいことをたくさん知ることができた。なんとなく個人的に人生で重要としていることは自分がそれまで全く知らなかったことを知ることなんじゃないかなと思う。もっといろんなところに出掛けてみようと2017年の夏には思った。

 

こうして思い出してみて、やはり2017年の夏は夢みたいなことばかりだったなあと思う。そのときはきっと細かな嫌なことがあったと思うけれど、大きく残っているのは楽しいことばかりだ。良かった。本当に良かった。