人から告白されるたび落ち込む

そしてその理由が自分でもよくわからない。

ネットで検索してみたら同じように告白されると落ち込む人がいるということはわかったけれど、大抵は友だちだと思っていたのに友だちではなかったのに失望しただとかそういう理由だった。私は別に相手に失望もしないし相手に告白なんてしないでほしいとも思わない。それは相手の自由ですしね。相手に関係なく落ち込む。例えそれが自分から好意を寄せている相手であったとしても、いざ告白されるとそのあとひどく落ち込んで寝たきりで何もかもが手につかなくなる。つまり相手に問題があって落ち込むというわけではないと思う。

ここで本当に言いたいのは相手に一切非はないということです。相手は悪くない。

 

ここまで下書きにあった。これを書いてからそこそこ考えていて、告白される前の空気だとか雰囲気が一番ストレスになっているんじゃないかと思った。告白される前のあの独特の緊張感のある空気!間合!苦手だ。逃げ出したくなる。例えるなら勝負事で勝敗がこの一手で決まるときのような。過去に告白してくれた人の何人かは告白する前にやたら携帯をいじり黙り込んでいた。その時点で個人的には居心地が悪くなる。そして告白すると決めたときから告白するまでの緊張した面持ち!緊張が伝わってきて胃がキリキリしてくる。思い出しただけで胃が痛い。そんな緊張させてごめんなさいという気持ちと居心地が悪くなり逃げ出したい気持ちが混ざり合うもその場をなんとかやり過ごす。そしてその後の生活でその空気の中に身を置いたことによる精神的な疲れやらで気分が落ち込み何も手につかなくなり部屋ではベッドに横たわったままの状態になる。とにかく眠って回復するのを待つだけの状態。映画も読書も音楽をきくのも無理になる。緊張感のある空気が極端に苦手なのかもしれない。しかし恋愛でお付き合いをするのに告白を避けることは大変難しいことかと思う。なので恋愛とは距離を置きたい。距離を。置きたい。しばらくは。特に告白とは。

 

目の前に横たわる

人身事故があった。最寄駅から一つ先の駅で。電車に乗っているときにはああ鬱陶しいなあとか思ってしまうけれど、電車に飛び込んでしまうのって私にもあり得る事態だなと思ったらゾッとした。目の前に死がある。

もう全部ダメだなって全部うまくいかないしもう何にもできないし何をやっても進みもしないただひたすらよくわからないまま穴を掘っては埋めているだけなんじゃないかって日常に身を置いていたときに、いつものように電車を待っていてふとここに飛び込んだら、一歩だけひょいと飛び込んでみたらもう何にもしなくていいのかな、と思ったら衝動的にやってしまうかもしれない。そんな精神状態に追いやられていたのかもしれない人のことを考えたら息が苦しくなった。それまでの辛い日々をなんとかやり過ごしてきたけれどもういっぱいいっぱいだったんだろうな。誰かがそのときどうしていればとか、そういうのって難しいと思う。いつどこで糸がプツンと切れるように限界がくるかなんてわからないし、本当に簡単なことで糸が切れるかもしれない。電車に乗ろうとしたら人にぶつかられた挙句舌打ちされたとか。どう対応すればいいのかもわからない。いっぱいいっぱいになったときに何とかやり過ごしてきたけれど、それはまだ余裕があったのかもしれないし。何に対して自分の中で限界なのかって本当に難しいよ。他人には計りかねるものがある。助けることができるかもしれないっておこがましい考えだなと個人的には思う。きっと周りにいた人は後悔する。あのときせめてバイバイじゃなくてまたねと言っておけばよかったのかもしれないとか、そういうことも含めて。後悔なんかしたくないし好きな人が自殺するのなんて嫌だし自分がそこまで追い詰められてしまう状況に陥るのも恐ろしい。どうしたらそれを防げるのかと考えていた。その未来は迎えたくはない。

人身事故で亡くなられた方が安らかに眠れますよう。そしてその方の周りにいた亡くなられた方のことを愛していた方々にとってただただ後ろ暗いだけのものになりませんように。

熱がでた

久しぶりに。

原因。帰宅が遅くなることが多くほぼ毎日床で寝落ちしていた。3日ほど徹夜状態が続いた後に夜行バスでフジロック1日目に行き朝方5時まで遊び倒した。翌日も東京で遊んだ。その翌日は半端なく忙しかった上にいろんな人と関わったがためにストレスがひどく溜まった。やることが山積みでストレスから解放されない。夏バテで食欲がないからとシリアルばかり食べていた。の割にお酒をよく飲んだ。物をほとんど食べていないのに。

31日から鼻水がではじめて1日の帰宅時にはなんとなくフラフラするしでこれはヤバイぞとなった。コンビニに寄りつつ駅に辿り着き電車に揺られ気づいたら最寄駅。ぼんやりしながら家に帰り、ソファに倒れこむ。熱がでるとなぜか涙がボロボロ落ちてくる。ソファに倒れこんだときに涙がボロボロ落ちるやら頭が痛いやら体が重いやらでやっと熱がでているらしいことに気づく。それで帰宅時にあんなにフラフラしたのか、なるほどね〜と思った。コンビニで買ったスムージーを飲んで、りんごジュースを飲んで、薬を飲んでやっとの思いでベッドに行くもベッドの上に物が散乱している。どういうことなの!責任者はどこだ!と思いながら全てをひとまず床に置く。足の踏み場がなくなる。そろそろ掃除をすべきだ。眠る。起きたらこのダルさがなくなっていればいいなと思いながら。

熱がでると普段やっていることができなくなる。コップで水を飲むにしてもうまく飲めないからストローで飲むし、何か食べるものを作るのも難しい。食べた後のゴミやら皿やらの処理も難しい。こういう時のために熱がでたことを想定して食べ物やら薬やらを用意しておくべきだなと思う。まあ今はコンビニがあるからコンビニに行けばなんとかなる。帰宅時にコンビニに寄ればいい。

快眠することは風邪を予防する上で大切だったなあと風邪をひくたびに思う。ちゃんとベッドで眠ること。体を冷やさないこと。疲れをとること。当たり前のようにやることが大切だった。やっと忙しさから抜け出したのだから部屋の掃除に力をいれて、最低レベルの清潔さを保っていけるくらいに物を減らしたい。

熱がでるとツイッターでどうにも感傷的なというか妙なツイートをしてしまう。お酒を飲んだときは人間が尊いだとかツイートしていた。何なんだ。普段も妙なこと言いたくなるけれど、それって大抵は寝起きが多い。朝は変な気分になる。熱がでるとその変な気分が続く。熱に浮かされているのかな。何にせよ風邪をひくのはよくない。体を冷やしちゃだめ。

夜中に散歩がしたい

日付が変わるころに集合して散歩がしたい。できればアイスと缶チューハイでも持って散歩がしたい。

 

去年の今頃はなぜだか金曜日になると先輩たちと夜な夜なカフェに行き、カフェが閉店する2時だか3時だかにバッティングセンターに行ったりカラオケに行ったりしていた。つまりは遊んでばかりいた。今も遊んでばかりと言えば遊んでばかりだけれど、今よりも遊んでいたと思う。なぜだかお金もあったし。時にはコンビニでアイスと缶チューハイを買って公園で先輩と話し込んだりもした。誰とも会わなかった日は部屋で一人で外を眺めながらアイスを食べたり、小腹がすいたからとの理由でクラッカーとクリームチーズを食べたりもしていた(村上春樹の小説にでてくる人物っぽい)。

 

夜中の散歩の醍醐味は人が少ないところにある。昼間はそこそこ人がいる場所を深夜に歩くのが好きだ。街が眠っているのを感じ取れる。なんとも言えない不思議な雰囲気をまとった街をお酒を飲んで散歩することでより非日常感がでる。深夜の公園。寝静まった商店街の薄暗さ。道路のまばらな車の光。コンビニの明るさ。たまにすれ違う人の表情。夜明けの光。

 

深夜散歩は大変愉快だ。夏ならなおさら。夏の深夜散歩が一番好き。明け方には銭湯に行きたい。そしていつもより少しだけ豪華なモーニングを食べて電車で帰ろう。きっと楽しいよ。

スマホを捨てたい

過去を振り返り、そしてまた振り返り、また振り返る。そうして日々は過ぎていく。なんとも怠惰で甘ったるく意味のない生活。人の感情は一定に保たれない。

 

サリーは待ってくれる、一緒に歩くには遅すぎるって知っているから。でも彼女の心は離れていく。それを怒ってはいけない。そんなことを語りかけてくる。心が離れることに怒ってはいけない。それでもあのときこうしていタラ、こうしていレバとタラレバ言っている。独り言で。誰かを引き留めることなんてできないし自分が好きにやっていると思っているのでそんなことをしていいわけがないだろう。でもそれって自分で勝手に決めただけで人には関係のないことだよね。自分で勝手に決めたルールを他人に強制してはいけない。

現実の自分とは違う、パラレルワールドのようなもので、違う選択をして成功している自分を想像する。そこに意味はないってことはわかっている。現実に目を向け、スマホと向き合わず机と向き合い(もしくはパソコンと)やるべきことを済ますべきだった。いつもそう。欲しいものより買うべきものを揃えなくては意味がない。すべきことをちゃんと行っている人をすごいねー、と言って側から眺めるのではなく実践するために観察すること、そして実践することが必要なのだという当たり前のことが年々できなくなってきた。そしてそれを今求められている。やらねばならぬ。見掛け倒しではだめだ。スンゴデシオダケカミ。わかっているのにすぐに出来ない。怠惰になった人間が突然何もかもできるわけがない。少しずつね、なんて言っている内はできない。やらねば。やらねばならん。全てを。為せば成る、為さねばならぬ。知っている。振り返ってばかりで甘美な時間を過ごすのもある程度に留めなければならない。もはやある程度の領域を超えた。スマホを捨てろ!

雨の日

雨の日は歩いて駅まで行く。雨の日はローファーを履く。そんな雨の日限定の何となくのルールがある。

 

普段駅までは自転車で行くけれど、雨の日は歩いていく、夜から雨が降る場合も歩いていく。そしてスニーカーではなくローファーで行く。持っている傘が可愛らしいデザインのものなのでいつもより女の人らしい服装をする。髪の毛が広がるのでなるべく結ぶ。防水スプレーがしてあるリュックにする。これが毎日続くとつらいけれど、たまになら良い。いつもと少しだけ違うことをするのにストレスよりむしろワクワクを感じるので、できることならば毎日少しずつでも違うことが起きてほしいと思う。と同時にルーティンをあまり持っていないのでルーティンがほしいとも思う。難しい年頃ですねぇ。

 

雨の日にはよくオセロやら囲碁やら将棋やらをしていた記憶がある。あとトランプとかウノとかかな。五目並べもした。もう囲碁も将棋もしなくなってしまったからやり方もイマイチ思い出せなくなってしまったけれど、やっていたという記憶だけはある。オセロはたまに行くカフェに置いてあるので、そのカフェに行くたびにオセロをしている。連敗中。

 

梅雨入りしたからこれから雨の日が続く。雨の日が続きすぎるのは嬉しくない。洗濯物が乾かないし靴だって乾かない。ジメジメする。時々の晴れ間が嬉しくなる。隔日でも多いな。週3くらいにしてくれると嬉しい。

GWのどこかの日の出掛けた記録

滋賀県近江八幡市に行ってきた。三方よしの近江商人の街。

 

長い長い渋滞を宇多田ヒカルの新しいアルバムをリピートし続けながら乗り越え、お昼ごはんは手軽にSAで済ませ、やっとたどり着いた近江八幡。駐車場はどこも満車。細い道は激混み。前に進まぬ車。どう考えても目的の場所にたどり着けそうにない。抜けて逸れて違うルートで行きました。

バームクーヘンで有名なクラブハリエはもちろんたねやもカフェも併設されているという「ラ コリーナ近江八幡

庭がきれいとのこと。ジブリのような感じの可愛らしいところ。良い天気の中で幼児が遊んでいるのを見ながら一通り眺め、といってもだいたい10分ほどで満足。お土産でも買って帰ろう、といった感じで。

 

f:id:Sanjo_14:20170506011833j:image

=ラ コリーナ近江八幡

 

人が多すぎて何も買えませんでした!