楽しい夜更かし

なにかと幼い頃から夜更かしばかりしている。夜眠れなくて、父と夜中に放送されるドラマをよくみていた。幼い頃に悪いことをしているときの楽しさのようなものを覚えたので、夜更かしに対して悪い印象はないのである。

 

この歳にもなると夜更かしもなかなか様になってきているような気がする。23時を夜中であると思わなくなってきた。本来ならば23時にはすでに夢の世界にいるべきだとは思うものの、ついつい夜更かしをしてしまう。そして翌朝後悔する。つまり夜更かしを楽しむためには翌朝後悔しないようにする必要がある。翌朝後悔するのは眠ることができない1日が待っているわけで、いくら眠っても大して変わらない1日があれば問題ない、はず。

夜更かしをするぞと決めてからは22時にコーヒーを飲んでもいいし、そこから映画をみはじめてもいい。ちょいちょいと何かをつまんでもいい。プリンを食べていい!何もせずボーッとして過ごすだけの夜更かしは精神的に負荷がかかることを考えてしまいがちなのでなるべくしないでいたい。冬の夜更かしではブランケットと暖かいコーヒーを用意すれば本を一冊読み終えることなど赤子の手をひねるようなもの。そりゃあまあ、難しい本は無理だろうけど。ああなんて素敵な夜更かし、あしたのご飯は何にしようかなんてことも考えられちゃう。あしたは何しようかな、天気が良いのなら散歩にでもいこう。

気づいたらウトウトしていて、やっと床につく。そうして目が覚めたときには昼ごはんなどとっくにすぎた14時だったりする。なんともいただけない。考えていたランチはいずこ、散歩プランは、洗濯物は……………。

そして眠りすぎたツケがまわりその夜には眠らなければいけないのに眠れない。翌朝後悔する。またそんな日々か続いてしまう。それでも夜更かし、やめられないよね。

 

ああ、そうこうしているうちにもうこんな時間だ。眠らなくちゃ。

2/20-記憶

私にとって楽しかった記憶が一緒にいた相手にとっては全てなかったことにされているっぽい。もしかしたら楽しかったのは私だけで相手にとっては苦痛でしかないものなのかもしれない。季節や空気感も全てひっくるめてとてもいい思い出だけど、相手に苦痛だったのならとても申し訳ないし、なかったことにされるのはとても悲しい。

 

何かをやるときに直前まで何とかして回避できないものか、何とかしてここから逃げ出せないかを考えてしまう。もう腹をくくれば平気なんだろうけど、腹をくくるまでが長い。そして苦痛。開き直って楽しんだほうがいいんだろうなということはわかる。できればそうしたい。しかしそこまでいくのはなかなか厳しい。

 

この間テレビのインタビューを受けた。何人もインタビューを受けていたのを見たので絶対に使われないだろうなと思っていた。そしたらテレビに自分のインタビューが使われていて、驚いた。驚いた以上にショックだったのがあまりにも自分が丸々としていることだった。ダイエットを決意する瞬間に違いないというほどのショック。小さく悲鳴をあげてしまった。いやー、本当に、よくない。

 

いつものことながらスケジュール管理がうまくできない。余裕をみてスケジュールを組むということができない。しゃくしゃく余裕で暮らしたいのになぁ。

 

月に一度くらいはデートというものがしたいような気がする。というか人と遊びたいだけなのかもしれない。ツイッターのリア垢なるものを消してからのほうが友だちと関わることが増えたように思う。どうでもいい知り合いとは本当にスッパリと切れてしまったことで、どうでもいい情報がはいってこなくなったし不快になることも減った。自分にとってはとてもいいことだ。個人的に遊びに行く友だちとはちょくちょく連絡を取り合って遊びにいくということが増えたし。インターネット向いてない側なのかもしれないな。

 

いつもなんだけど、何かを書くときに起承転結というものを全く意識しないまま思いつくままババーっと書いてしまっている。本当にメリハリがない。起承転結を意識して書こうと何度かチャレンジしてみるものの、どうしても途中でこんがらがってしまって書けない。トレーニングが必要だと思う、本当に。

2/8 - 抽象的な話

全ての物事について思考をめぐらして自分の意見のようなものを持たなければいけないなんてことはないみたい。どちらか選ばなければいけないということもない。ある問題については興味関心がとてもあるけれど他のある問題には全くないということもあるし、その問題に対して必ずしも極端な意見に帰結する必要もない。そして興味関心がないことが絶対に悪いというわけでもない。こういうことがなかなかわからないから自分に呆れる。もしかしたら感覚としてはわかっているけれど、それをちゃんと言語化して残しておくことがないのかもしれない。ある問題についておそらくこうあったほうがいいんだろうということがわかっていたとしても、気持ちが追いつかないこともあるらしい。なるほど。最近はこういう抽象的なことばかり言っていたり考えていたりするような気がする。

 

きょうは朝から何かと走った。しかもヒールで。ヒールで走るのは苦手ではないとはいえ、さすがに足が痛い。2kgほど減っていないと割りが合わないと思う。もっとこう1日バタバタしていた日でも3kgしか落ちていなかったので実際は500gくらいしか減っていないかもしれない。それは誤差じゃん。

 

スティーブンアラン東京でオーダー鼈甲の指輪のイベントをやっているとのこと。鼈甲の指輪がほしくて仕方がないから行きたい。でも東京で買い物をする時間がある日が今のところないので無理そうだ。素敵だろうなぁ。

 

びっくりするくらい左下まぶたが痙攣する。マジかよ〜!って感じだった。困る。会話をしている相手のまぶたが痙攣してたら嫌じゃないですか。まあやることひと段落したからもう痙攣しないと思う。帰宅したら泥のように眠ってやる。

 

アパホテルって本当にどこにでもある。すごい。どこに行っても同じような部屋が出てくるというのはある意味面白いのかもしれない。そういうのもアリですね。

2/7−できれば毎日日記を書きたい

できれば毎日ちゃんと日記を書きたいと思っているけれど、なかなかできない。別に毎日何にもないわけではないんだけど。細かくいろいろあるしその日にいろいろ考えてまとまらないまま次の日がきて、その日にはまた別のことを考えてというのを繰り返しているのかもしれない。考えてああすればこうすればとなるが結局行動しないのがよくないところだなと思う。

 

最近は無性に板チョコが恋しい。板チョコを割らずにかじりついて食べるところばかり想像する。でも実際やると気持ち悪くなってしまうのでやらない。チョコレートを気持ち悪くなるまで食べることは人生のやりたくないことリストに入っているし。チョコレート好きなんだけど量を食べられなくなってきた。

 

まだお互いがセックスというものを経験として知らないときに仲良くなった友だちとはこの先も全くそういう雰囲気がなく付き合っていけるのだろうか。それだったらそれでいいね。

 

 ああもうこういうのやめよう、いらないなと思って切り離したものが必要だと他人に言われて無理やり取り戻そうとするんだけど、結局はそれがやっぱり自分に必要かわからなくて迷ってしまう。他人にとっては必要なもので大切なものだということはわかるし、それを持っているほうがやりやすいのかもしれないということもわかるのだけれど、切り離したものだからそれを取り戻すのは難しい。自分が生きやすいように選択したことが自分を苦しめることになっているのは少し面白いことだし自分らしいなと思う。そういう訳の分からないアホみたいな積み重ねで出来上がっている。必要なことは何ひとつ積み上がっていないのにね。ウケる。

 

なぜだかここ最近は毎日のようにクッキーか焼きたくなる。かといって焼く余裕はない。

 

基本的には誰でもウェルカムで〜す!みたいな感じでいたいなと思った。いやまあムカついたり何でそんなことするんだ!って人はたくさんいるけれど、基本的にはそういう姿勢でいたい。なんかまとまらないな。おわります。

2/2

完全に逃避のためにブログを書く。文章を書くことから逃避するために文章を書くのなんか笑えてくるね。

 基本的にこのブログは好き勝手に書いていて、落ちも何もない。とりとめのないものですね。そしてブログタイトルの通りの長い文章は書いていない。ウケることに。長い文章書くの難しいよ。

 

先日、座談会のようなもので質問に答える側になることがあった。座談会のファシリテーターは私を以前から知る人だった。質問は、「ある経験をしたことでどのように自分が変わったのか」。私の答えは「以前よりも他人に優しくなれたし他人の考えや行動を受け入れられるようになった」。そのときにファシリに「たしかにそれまでは一人で何でもできる!みたいなところがあったけれど、いろんな人の助けが必要であったり人の考えを優先するようになったよね」と言われた。それまでやばい奴だったみたいじゃん、ビビるわ。間違いなくそうだとは思うんだけどね。なんというか、これまでで感情論って邪魔では?みたいなところがあって、そういう感情論を抜きにして必要かどうかで人をみていることがあったのかもしれない。それが人って感情とかその物に込められた思いとかを大事にするんだなって。そこに込められた思いに共感して物を買うことがあるんだなって。それは自分にもあって、例えば服を買うときにそこのブランドがどういう思いでその服を作っていて、そこに共感したからそのブランドを支持するとか。そうだよなあ、共感って案外大事なことなのかも。もちろん共感できないものもあって、だからって買わないということはあまりないしそういうものが存在することはもちろんあっていいんだけど。共感が全てかと問われればそうではないとは思うけれど、共感するということをないがしろにすることもできないなと思った。なので座談会に参加してちゃんと考えをまとめられたので良かったなと思う。他人はすごい。

 

何だかんだで宿泊することが増えていきそうなので、そのときに気分良く過ごせるようトラベルキットでも買おうかなと思った。金額的にはロクシタンが丁度いいんだけど、イソップみたらイソップ欲しくなってきちゃった。内容もロクシタンよりイソップのが揃っているし。イソップ良さそうだしあの見た目はものすごくときめく。高いけど。とにかく保湿力が高くてとてもいいと知り合いが言っていたので試したい。匂い的にはshiroが好き!特にホワイトリリーが好き。そういえばshiroには洗剤があるんだって。そういう洗剤とかファブリックミストの取り扱いは東京の店舗とオンラインだけらしい。次に東京に行ったら寄りたい。ヘアセットだけなら候補はたくさんある。それこそロクシタンやイソップ、マークスアンドウェブ、オウパラディとか。でもそこに化粧水やらクレンジングやらが必要で、それらを別々に揃えるのが面倒だから全部もう揃えてしまいたいなと思う。揃えたらもうそれ使い続けたいし。でもしばらくはそのあたりが決まらないかも。結局バラバラになったりしてね。まあそれはそれでいいのかも。

 

あしたはいつもよりちょっとだけドレスアップしなくちゃいけない。ドレスアップするのは楽しくて好きだけどいろんな人と話をしなくてはいけないかもしれないのは嫌だな。楽しく過ごせるといいな。

子どもを生まないという選択

将来のことが不安すぎていろいろお金の計算とかしてみるんですけど、子どもを生んで育てることって難易度高いですね、やっぱり。

 

「出産50万、幼稚園から高校まで公立523万円、幼稚園から高校まで私立1770万円」というのを新聞で読みました。いや、お金めっちゃかかるじゃん。これ学費とかだけで考えているわけで、ここから大学の費用とか他にもいろいろかかるわけじゃないですか。年収1500万円が子どもを不自由なく育てていけるボーダーラインとも言われていて。共働きでお互いの年収800万円あればいい。年収800万。なるほどね〜って感じですよね。このお金の計算の時点でも子どもを生むことってすごく厳しく感じる。

あとは子どもを生むタイミングですよね。子どもを生むとなると職場を離れなければいけない。そのあとも子どもを中心として生活サイクルや仕事をこなしていかなくてはいけない。それができる社会ですか?違いますよね、今はまだ。これは今後絶対に改善されるべき点。子どもを生んでも職場復帰がすんなりとできること(これは使用者側だけがやるのではなく労働者側も労働をつつがなく行えるそれなりのスキルを身につける必要があるのかもしれない、まあこれはちゃんと働いていれば当たり前につくものだとしてください。資料作成だったりとかその会社で必要とされる労働を提供できるとか。)、子どもがいる人でも働きやすい環境であること。まあやりたくない無理な残業がなくなるといいね、と思う。残業がなくても十分生きていける給料と残業がなくても仕事がまわっていくようになるといいのにね。いつになったら過労死というものがなくなるのかな。仕事をしながら子育てをするのってとっても大変だと思う。男性が育休をとることが難しいというのもよくある話で。子どもと一緒にいたいのに一緒にいられない人ってたくさんいるんだろうなと思う。生まれたての赤ちゃんなんて愛おしくて仕方がないだろうに。男性も女性も子どもを育てていくことに不自由ない社会になればと思う。

自分は女性で、かついろんな話を聞いていて不安だなと思ったこととして子育てのほとんどの責任を自分が負わなければいけないかもしれないということ。パートナーが子育てにそこまで参加してくれなかったらどうしよう、とかね。夜中に子どもが泣いているのに起きるのは自分だけだとかお風呂に入れるのも自分でご飯を食べさせるのも自分だとしたら、それってめちゃくちゃな負担じゃないですか。共働きであったとき、自分だけが面倒をみなくちゃいけないのって嫌だよな、疲れるよなと思ってしまう。子育てって一人でやるの無理でしょ。それをやってきた人はすごいと思う。本当に。でもそれを強制する人、一人ででも子育てできるじゃない、甘えないでとか言う人は本当に嫌い。苦しいことをやめることができるのにいつまで続けるつもりなんだ。そういうことを考え出すと、本当に不安。そうこう考えると子どもを生むという選択は難しい。私にとってはね。

子どもを生むこと、育てていくこと。自分の子どもが真っ当に育つかもわからない。生まれたばかりの赤ん坊を一般社会で生きていくことができるような人間にするのってとても難しいことだと思う。それにこれからの時代を生きていくというのも、何というかすごく厳しそう。子どもがいたら楽しいかもしれないだとか、いろいろプラスな面もたくさんあるけれど、それ以上に私にとって難しいと感じるものが多すぎる。子どもを生まないという選択になってくるのかもしれない。

1/17

好きな人には幸せになってほしい。私を傷つけた人にはそこまで幸せになってほしくない。脳内から消し去ることは難しい。消し去りたいんだけど。はやくいろんな人の記憶から消え去っていなかったことにされたい。そのために人間関係を切ったのにうまくいっていない。切り捨てたはずの人たちから連絡はやってくるばかりで、好きでたまらない連絡したい人には何と連絡をすべきかわからず過去のやりとりを遡ってばかりいる。あの人たちと一緒にいると自分の中で一番嫌いな許せない自分になってしまう。自分の問題で後で落ち込むというのが数年続いてどうしようもなくて離れることにした。自分の責任なのは間違いない。焼き払えたらいいのに。

 

俗に言う女たらしは嫌で、かといって女というものに対して幻想を抱いている人とも付き合えないかもしれないという話をきいた。たしかにどちらも付き合うのは難しそう。嘘をつく人も嫌だけれど嘘をつけない人も嫌だというのと似ているのかもしれない。

 

長い間感じていた違和感について少しずつではあるものの説明できるようになってきた。嬉しかったことも楽しかったことも悲しかったこともつらかったこともどう言葉にして伝えるべきかわからなかったけれど、それを伝えることが本当に少しずつではあるもののできるようになってきて、もどかしさが減った。人生が良い方向に進んでいるのだと思いたい。

 

夕飯を食べてからうたた寝している間にいくつか連絡がきていた。寝ているときほど連絡はくるような気がする。夜中に返信するのもはばかられるので朝にでも返信しようと思う。

 

きょうはコーヒーを飲まなかった。鉄道遺失物を販売しているところに置いてある本はなぜだか下巻が多いような気がした。