卵焼きが上手く巻けるまで

卵焼きを上手く巻くのって本当に難しい。少しでも火を入れすぎるとトロトロふわふわが失われてしまうし、かといって半熟のままだと巻けないし。

 

いろいろあってトロトロふわふわな卵焼きを作れるようになる必要がある。今まで自分で卵焼きを作るときって割とあったし作ってたんだけどトロトロふわふわにしろと言われるとできなかった。卵に塩とかで味付けしただけなら割とやりやすいんだけど、牛乳とかいれると難しい。まあ入れないんだけど。卵焼きの基本的な作り方はわかっているもののトロトロふわふわは本当に難しい。卵焼きを作る手順を今一度おさらいしていこうと思う。

 

〜卵焼きを作る〜

①卵を割る。塩で味を付ける。切るように混ぜる。白身のドロっと部分を一切残さない。

②フライパンを熱する。フライパンの表面に手を掲げて温かさが伝わってきたらバターを投入。

③バターが焦げないうちに小さなおたま1杯分の卵液を入れる。かき混ぜる。巻く。

④卵液2杯目投入。巻いた卵の下にも卵液を入れる。かき混ぜる。巻く。

⑤卵液3杯目投入。以下④と同じ。完成。

 

一見すると簡単だ。問題は④で巻くところにある。上手く巻けず卵液が飛び出したりする。まだ④で上手く巻けずとも⑤の最終巻きで上手く巻ければいいのだけれど、これもなかなか難しい。モタモタして固くなる。よくない!とにかく卵焼きをたくさん作ってきれいにトロトロふわふわの卵焼きを作りたい。それを食パンに挟んで食べるんだ。

校閲を辞めた

8月31日付で辞めた。次の目処はない。私があれこれ書くのはおこがましいかなとも思ったが、そもそも自分の記録のために扱っているブログなので自分のために書き残しておく。

 

校閲とひとくくりに言ってもそれぞれ違う。基本的な内容は大体同じだとは思うけれど。校閲ガールのように誤字脱字をみるのはもちろん内容確認をすることもある。私は新聞校閲だったので新聞独特の用語の確認があった。あと洋数字と漢数字の使い分けとか。多分「きょう」や「あした」をひらがなで書くのはその癖だと思う。

明らかに間違っているのに記者に確認したらこのままでいい、と言われることなんて日常茶飯事で、記者によっては話を全く聞いてくれない人もいたので少しでも話を聞いてもらうためにいかに腰を低く愛想よくしていくかがポイントだった。それでも大抵の記者や支局長は丁寧で、わざわざありがとうございますと伝えてくれた。デスクも含めて本当にいい人たちが多かったと思う。部署にもよるけれど出勤時間が14時とか17時とかで終業時間もそれに伴って23時とかで夜遅いので残業とかあまりないかったと思う。むしろその日の仕事が終わってはやく切り上げるとかよくあった。ご飯を食べるために席を外すことが難しいときもあったのでパンやあらかじめ用意してきた簡単な弁当などを食べながら仕事していることもあった。まあ単純に食堂のご飯に飽きたっていうのもあるんだけど。自転車で通勤している人が多かったように思う。終電がない時間になるとタクシーで帰れるのが良かった。会社の中に眠れる場所もシャワーもあったし食堂や売店はもちろんのこと資料室もあったので会社の中で暮らせるなとかよく考えていた。会社に泊まるなんてよっぽどのことだけど。台風とか災害があるときこそ必要とされるものなのでそういったときには大変だった。記者もこんな中取材に行って記事を書かなくてはいけないのかと思うと本当に大変だなあと思っていた。

校閲で特に間違えたくないのは電話番号や住所、名前だなとよく思う。見出しと中身が一致していないのもダメですね。誤字や誤用もなるべく出したくない。NIE(教育に新聞を)とかやっているし…。言語は移り変わるものなので誤用なんてないということもあり、新しい使い方や新しくよく使われるようになった単語の使用などに柔軟に対応していこうという動きはあるが、検討会やらなんやらで遅れて追いつくことは多々あった。何にせよ現段階で定められている意味を使いたい。私は日本語に詳しくないのでいろんな人にとてもお世話になった。「丹精込めた」はダメで「丹精した」とするとかね。基本的にはいろんな年代の人にわかりやすく、というのは言わずもがなだけど、3桁の数字は横並びに書くと読みづらいからなるべくしないとか、カタカナや英語の略称やらを使いすぎないようにしようだとかいろいろあった。読者は年々高齢化しているので仕方がないと思う。紙面の体裁を整えるのも仕事の一つで、例えばある箇所については字体をゴシックで統一するとか電話番号の書き方はこうだとか。当たり前なんだけど見落としがちなことってたくさんあって、そこを防ぐ最後の砦のようなものが校閲なんだと思う。

新聞社ならではなのかはわからないけれど、独特の用語がそこそこあって最初は本当に訳がわからなかったのも思い出だな。わかるようになるまで時間が掛かった。キャラメルとか預かりとかyフローとかいろいろ。

校閲の仕事は好きだったし楽しかったと思う。いろんなことを知ることができたし、もう一度勉強し直さなきゃなと思うこともたくさんあった。ジッと座って黙々と作業することが私には割と向いているんだなとかどうしてもやる気が出ない日でも最低限はこなせるようにする方法とかがわかったし。また縁があればやりたい。

8/31

悪い知らせが二つ、終わりを迎えるものが二つ。夏が終わる。

 

夏は得意じゃない。羽目を外しすぎるきらいがあるし何より暑い。羽目を外したり活動的になるのは夏ならではだなあと思うがそれによって上手くいった試しはここ数年思い返してみてもない。浮き足立っているからかもしれない。浮き足立つとよくないなぁ。でも暑い中行動していた自分のことは褒めたいなと思う。涼しくなるにつれ布団から出られなくなりがちだけれど落ち着いて行動できるようになるかもしれない。

 

9月からは全くやることがなくなる。準備期間にすべきなのかもしれない。予定されていたものは全てなくなり、残ったのはお遊びの約束だけ。こんな状態で大丈夫なのか、生きていけるのかな。何だかよくわからない。

 

以前はお酒なんてほとんど飲まなかったのに最近はなぜだか毎晩飲みたくなる。アルコールで夜をとばしてやり過ごしている感覚がある。夜は長く眠れない。眠りたいのにうまく眠れないし、何かをしようとするとついぼうっとしてしまう。焦点がぼやけるのが自分でもよくわかる。悪い知らせがくる予感があってからこうだ。時間が解決してくれるのをただ待つ。

人から告白されるたび落ち込む

そしてその理由が自分でもよくわからない。

ネットで検索してみたら同じように告白されると落ち込む人がいるということはわかったけれど、大抵は友だちだと思っていたのに友だちではなかったのに失望しただとかそういう理由だった。私は別に相手に失望もしないし相手に告白なんてしないでほしいとも思わない。それは相手の自由ですしね。相手に関係なく落ち込む。例えそれが自分から好意を寄せている相手であったとしても、いざ告白されるとそのあとひどく落ち込んで寝たきりで何もかもが手につかなくなる。つまり相手に問題があって落ち込むというわけではないと思う。

ここで本当に言いたいのは相手に一切非はないということです。相手は悪くない。

 

ここまで下書きにあった。これを書いてからそこそこ考えていて、告白される前の空気だとか雰囲気が一番ストレスになっているんじゃないかと思った。告白される前のあの独特の緊張感のある空気!間合!苦手だ。逃げ出したくなる。例えるなら勝負事で勝敗がこの一手で決まるときのような。

過去に告白してくれた人の何人かは告白する前にやたら携帯をいじり黙り込んでいた。その時点で個人的には居心地が悪くなる。そして告白すると決めたときから告白するまでの緊張した面持ち!緊張が伝わってきて胃がキリキリしてくる。思い出しただけで胃が痛い。そんな緊張させてごめんなさいという気持ちと居心地が悪くなり逃げ出したい気持ちが混ざり合うもその場をなんとかやり過ごす。そしてその後の生活でその空気の中に身を置いたことによる精神的な疲れやらで気分が落ち込み何も手につかなくなり部屋ではベッドに横たわったままの状態になる。とにかく眠って回復するのを待つだけの状態。映画も読書も音楽をきくのも無理になる。緊張感のある空気が極端に苦手なのかもしれない。

しかし恋愛でお付き合いをするのに告白を避けることは大変難しいことかと思う。なので恋愛とは距離を置きたい。距離を。置きたい。しばらくは。特に告白とは。

 

熱がでた

久しぶりに。

原因。帰宅が遅くなることが多くほぼ毎日床で寝落ちしていた。3日ほど徹夜状態が続いた後に夜行バスでフジロック1日目に行き朝方5時まで遊び倒した。翌日も東京で遊んだ。その翌日は半端なく忙しかった上にいろんな人と関わったがためにストレスがひどく溜まった。やることが山積みでストレスから解放されない。夏バテで食欲がないからとシリアルばかり食べていた。の割にお酒をよく飲んだ。物をほとんど食べていないのに。

31日から鼻水がではじめて1日の帰宅時にはなんとなくフラフラするしでこれはヤバイぞとなった。コンビニに寄りつつ駅に辿り着き電車に揺られ気づいたら最寄駅。ぼんやりしながら家に帰り、ソファに倒れこむ。熱がでるとなぜか涙がボロボロ落ちてくる。ソファに倒れこんだときに涙がボロボロ落ちるやら頭が痛いやら体が重いやらでやっと熱がでているらしいことに気づく。それで帰宅時にあんなにフラフラしたのか、なるほどね〜と思った。コンビニで買ったスムージーを飲んで、りんごジュースを飲んで、薬を飲んでやっとの思いでベッドに行くもベッドの上に物が散乱している。どういうことなの!責任者はどこだ!と思いながら全てをひとまず床に置く。足の踏み場がなくなる。そろそろ掃除をすべきだ。眠る。起きたらこのダルさがなくなっていればいいなと思いながら。

熱がでると普段やっていることができなくなる。コップで水を飲むにしてもうまく飲めないからストローで飲むし、何か食べるものを作るのも難しい。食べた後のゴミやら皿やらの処理も難しい。こういう時のために熱がでたことを想定して食べ物やら薬やらを用意しておくべきだなと思う。まあ今はコンビニがあるからコンビニに行けばなんとかなる。帰宅時にコンビニに寄ればいい。

快眠することは風邪を予防する上で大切だったなあと風邪をひくたびに思う。ちゃんとベッドで眠ること。体を冷やさないこと。疲れをとること。当たり前のようにやることが大切だった。やっと忙しさから抜け出したのだから部屋の掃除に力をいれて、最低レベルの清潔さを保っていけるくらいに物を減らしたい。

熱がでるとツイッターでどうにも感傷的なというか妙なツイートをしてしまう。お酒を飲んだときは人間が尊いだとかツイートしていた。何なんだ。普段も妙なこと言いたくなるけれど、それって大抵は寝起きが多い。朝は変な気分になる。熱がでるとその変な気分が続く。熱に浮かされているのかな。何にせよ風邪をひくのはよくない。体を冷やしちゃだめ。

夜中に散歩がしたい

日付が変わるころに集合して散歩がしたい。できればアイスと缶チューハイでも持って散歩がしたい。

 

去年の今頃はなぜだか金曜日になると先輩たちと夜な夜なカフェに行き、カフェが閉店する2時だか3時だかにバッティングセンターに行ったりカラオケに行ったりしていた。つまりは遊んでばかりいた。今も遊んでばかりと言えば遊んでばかりだけれど、今よりも遊んでいたと思う。なぜだかお金もあったし。時にはコンビニでアイスと缶チューハイを買って公園で先輩と話し込んだりもした。誰とも会わなかった日は部屋で一人で外を眺めながらアイスを食べたり、小腹がすいたからとの理由でクラッカーとクリームチーズを食べたりもしていた(村上春樹の小説にでてくる人物っぽい)。

 

夜中の散歩の醍醐味は人が少ないところにある。昼間はそこそこ人がいる場所を深夜に歩くのが好きだ。街が眠っているのを感じ取れる。なんとも言えない不思議な雰囲気をまとった街をお酒を飲んで散歩することでより非日常感がでる。深夜の公園。寝静まった商店街の薄暗さ。道路のまばらな車の光。コンビニの明るさ。たまにすれ違う人の表情。夜明けの光。

 

深夜散歩は大変愉快だ。夏ならなおさら。夏の深夜散歩が一番好き。明け方には銭湯に行きたい。そしていつもより少しだけ豪華なモーニングを食べて電車で帰ろう。きっと楽しいよ。

スマホを捨てたい

過去を振り返り、そしてまた振り返り、また振り返る。そうして日々は過ぎていく。なんとも怠惰で甘ったるく意味のない生活。人の感情は一定に保たれない。

 

サリーは待ってくれる、一緒に歩くには遅すぎるって知っているから。でも彼女の心は離れていく。それを怒ってはいけない。そんなことを語りかけてくる。心が離れることに怒ってはいけない。それでもあのときこうしていタラ、こうしていレバとタラレバ言っている。独り言で。誰かを引き留めることなんてできないし自分が好きにやっていると思っているのでそんなことをしていいわけがないだろう。でもそれって自分で勝手に決めただけで人には関係のないことだよね。自分で勝手に決めたルールを他人に強制してはいけない。

現実の自分とは違う、パラレルワールドのようなもので、違う選択をして成功している自分を想像する。そこに意味はないってことはわかっている。現実に目を向け、スマホと向き合わず机と向き合い(もしくはパソコンと)やるべきことを済ますべきだった。いつもそう。欲しいものより買うべきものを揃えなくては意味がない。すべきことをちゃんと行っている人をすごいねー、と言って側から眺めるのではなく実践するために観察すること、そして実践することが必要なのだという当たり前のことが年々できなくなってきた。そしてそれを今求められている。やらねばならぬ。見掛け倒しではだめだ。スンゴデシオダケカミ。わかっているのにすぐに出来ない。怠惰になった人間が突然何もかもできるわけがない。少しずつね、なんて言っている内はできない。やらねば。やらねばならん。全てを。為せば成る、為さねばならぬ。知っている。振り返ってばかりで甘美な時間を過ごすのもある程度に留めなければならない。もはやある程度の領域を超えた。スマホを捨てろ!