どこにも行けない

結局どこにも行けない

冬服へ

衣替えをするたびに、自分の手持ちの服が全てかわいくてお気に入りばかりで嬉しくなる。そのシーズン着ないこともあるけれど、お気に入りだから捨てることはせず一旦眠らせておくことはよくある。するとあるときふと着たくなったりする。

冬服は当たり前だけどニットがたくさんある。白が3枚と茶色と黒と赤とベージュとグレーの間みたいな色のものがそれぞれ1枚ずつ。タートルネックが多い。今シーズンこそ、モコモコの白のフィッシャーマンニットか白のフレッドペリーのチルデンニット、くすみピンクのモックネックニットのどれかがほしい。ついでにシンプルな黒のタートルネックで洗えるウールのニットもほしい。現時点では、だけど。

気に入ってよく履いていた無印良品のメンズのデニムがもう膝が出てきてしまってダメになってきたので、ワイドではなくストレートの濃い色のデニムがほしい。できればハイウエストで…。あとは薄色のリーバイス505がほしいな。これはできれば古着でいい感じのやつがほしい。キャメルのコーデュロイパンツもほしい!ゆったりめで温かそうなやつ。黒のコーデュロイパンツは持っているけれど、黒よりキャメルとか白とかのが今はほしいな。車に轢かれにくそうだし。軍チノもほしいけど、なかなか合うサイズがなくて難しい。合うものを見つけたらそれはきっと運命、のはず。今年は軍モノを適度に取り入れていきたいな。

きっとここに挙げたもののうちひとつかふたつくらいしか買わないと思う。単純にほしいものも変わってくるだろうし、今後着るかとか必要かとか理想のものに巡りあえなかったとかいろいろありそう。長ーい目で見てほしいね。

着たいな、って思う服のパターンが珍しくいくつか出てきている。はやく試したい!

ハーブ栽培をはじめた

最近ハーブの栽培をはじめた。レモンバームとジャーマンカモマイル。

なかなか寝付けない日々が続いていて、ハーブティーとかで不眠解消することができるみたいな話をきいたので、ハーブをはじめてみるかと思った。ちょうど部屋に植物がほしいなと思っていたところだったので、いっそ栽培してみるかと。ホームセンターに198円とかで売っていた。しかも割と種類が豊富。頼れるのは大きなホームセンター。天気がいい日に鉢に植え替えた。

ハーブ栽培は部屋の中で行う。問題はここからの寒さ。そして最近の長雨による湿気も問題だ。夢の中でハーブに水をやるくらいハーブのことを気にしている。色が悪くなった葉はこまめに切っているし。いつも全く面倒をみないので珍しい。こういうときはすぐ枯らす。だからそろそろ今までくらいの雑さで育てていきたいなと思う。

ちなみにまだハーブティーをいれたことはなくて、まだ少しビビってる。本当に美味しくできるのかな、とか。一番やりたいのはレモンバームを入れたバターをトーストに塗って食べること。美味しそう。ハーブをお風呂にいれるのもやりたい。

ハーブは置いておくだけでいい匂いがするからすごい。穏やかな心と安定した生活を手に入れたいな。

10/3

人の気持ちや考えていることがわからない。当たり前と言えば当たり前なんだけど。小説やらに出てくる登場人物の気持ちはわかるのに現実の人間の気持ちなんて全く想像できない。想像しようとしていないのかもしれないけど。他人のことは全てそういうこともあるのかと思って自分と共通項なんてないと思う。これが時には傲慢に見えるのかも。もっと他人のことをわかりたいなと思うようになった。もう少し前は他人のことを尊敬できるようになれたのにその前の他人を全くわからない状態に戻りつつある。おそろしい。他人のことを考えて行動できるようになれたらなと思う。

 

自分一人でいるときは当たり前だけどしごく大人しいと思う。というか暗い。だけど他人と一緒にいるとつい明るくバカみたいな振る舞いしかできなくなる。間を持たせようとかでワーっと話してしまう。こんな話、前にも書いた気がするな。いつだって落ち着いた人間になりたい。今年度中はそれを意識しながら生活していきたい。少し前はスカした人間になりたいなと思っていたな。

 

この間、久しぶりにパスタを食べた。ナスのボロネーゼとか好きだ。次はカルボナーラとか食べたい。

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自販機のなぞかんに思い通りのジュースがでてきたのは私がラッキーだったわけでも何でもなくて、なぞかんからでてくるのはいつだってそのジュースだった。

写真が好きだ

私はよく写真を撮る。人の写真を見るのも好きだ。何気ない風景を撮った写真が特に好き。あまりにも作られすぎた写真は個人のものではあまり見たくはないなと思う。過食気味。

 

写真は好きだし記録のためにはとても便利だ。そして何よりわかりやすい。写真全てがそうだとは言わないけれど、わかりやすいものが多いんじゃないかな。わかりやすく消費されるものはすぐに忘れ去られるしそのわかりやすさだけのものや表面上の美しさだけに興味がある人とは相いれないんだけどね。写真って本当にわかりやすいし記録するのにちょうどいいけれど、何かを写すには写しすぎるし何かを表現するには表現しなさすぎるときがある。何かにフォーカスして表現する場合、そのときの悲しさの細かなことではなく悲しいというその事実だけを写しすぎる。その悲しさの細やかな情景についてを表現するのは写真では難しいのかなと思う。もしかしたら素人だからかな。写真家の人たちの写真をあまり見たことがないからそう思うのかもしれない。おすすめの写真家がいたら教えてください。

表面的に美しいだけの写真を撮るには角度だとか光の加減だとかそういったもろもろで可能なんだろうけれど、撮られた人や場所や物と撮影者との独特の距離感や空白とか愛しさを出すのが本当に難しい。かといって彼女を見せびらかすような写真が好きなわけでもない。安達祐実を写した彼女の夫の写真は好きだけど。撮影者のことがのぞけるような写真が好きだ。インスタグラムやツイッターはそういった個人の写真がたくさん見ることができる。その分、表面的なものも多いけれどそこには個人的な違和感があるからスルーできると思う。もしかしたら先入観で打ち捨てる馬鹿みたいなことしている可能性もあるけれど。そういった写真を見るのは元気があるときだけにしたいな。ちなみに、友だちの幼少期の写真や家族のアルバムとかは大好きです。ああいった写真がもっと見たい。愛しさが溢れているよね。

写真をたくさんツイッターにアップするので迷惑だなと思っている人がいるかもしれない。ごめんね。でも私は写真が好きだしできるだけ自分の見たものを記録しておきたいから許してほしい。そしてそれを人に見ていいねされるのって嬉しいものだから。たまに自分が表面的に美しいだけで何の記録でもないような投稿しているときがあって自分の矛盾に吐き気がすることもあるんだけどさ。言い訳がましくなってきたのでやめます。

木の枝を伸ばす

熱もなくただぼんやり毎日を過ごしている自分に嫌気がしている。なのに動けない。その動けない自分にも腹がたつ。どうしてこんなにも腰が重いのかな。

 

やることはちゃんと用意してもらっていてその上それなりに期待もされている(と思う)。それなのに動けない。また後でいいかな~と先延ばしにする癖があり、そして先延ばしにしたまま忘れる。すぐに取り掛かれば案外すぐ終わるんだろうなということは今までの経験でわかっているはずなのに。やらないことには終わらないんだ。

本当に熱を上げてというか命を燃やすというか生き急ぐというか、そういった人たちが大好きでたまらない。その人たちが一心不乱になって作ったものが好きだ。今はその人たちを後ろどころか観客席のような場所で、ぼんやりと眺めていいなーすごいなーと言っているだけの状態。きっとこのまま見向きもされず置き去られていくんだろうな。それがつらい。だから毎日毎日焦りを感じながら過ごしている。焦りはあっても何もしていないから全て無駄なんだけど。簡単な労働はするし簡単な勉強もするけれど、どれもこれもぼんやり毎日の時間をなんとかやり過ごすための暇つぶしのようなものにしか捉えられない。私にしかできないことなんてどこにも何にもないけれど自分がやりたいことを見つけたい。いろいろやってみない限りそれも見つかることはないんだろうけど。一本の木を育てることはいいことなんだけれど、その木の枝をどんどん無駄だと伐採していくのは違う。木の枝をたくさん伸ばして光合成していくことが今は必要とされている。何か一つに特化するには私は知らなさすぎるし何もできなさすぎる。枝を伐採するのはもっと後からでもできるよね。何もわからない未来やどうなるかもわからない人間関係に辟易するより今を見つめたい。くだらないことを言う他人にかまってすり減らす余裕なんてどこにもない。きょうはもう寝たいけど5分間だけ取り組んでからにしよう。

そういえばそろそろ夜更かしをやめたいな。早く寝たい。毎日。

 

卵焼きが上手く巻けるまで

卵焼きを上手く巻くのって本当に難しい。少しでも火を入れすぎるとトロトロふわふわが失われてしまうし、かといって半熟のままだと巻けないし。

 

いろいろあってトロトロふわふわな卵焼きを作れるようになる必要がある。今まで自分で卵焼きを作るときって割とあったし作ってたんだけどトロトロふわふわにしろと言われるとできなかった。卵に塩とかで味付けしただけなら割とやりやすいんだけど、牛乳とかいれると難しい。まあ入れないんだけど。卵焼きの基本的な作り方はわかっているもののトロトロふわふわは本当に難しい。卵焼きを作る手順を今一度おさらいしていこうと思う。

 

〜卵焼きを作る〜

①卵を割る。塩で味を付ける。切るように混ぜる。白身のドロっと部分を一切残さない。

②フライパンを熱する。フライパンの表面に手を掲げて温かさが伝わってきたらバターを投入。

③バターが焦げないうちに小さなおたま1杯分の卵液を入れる。かき混ぜる。巻く。

④卵液2杯目投入。巻いた卵の下にも卵液を入れる。かき混ぜる。巻く。

⑤卵液3杯目投入。以下④と同じ。完成。

 

一見すると簡単だ。問題は④で巻くところにある。上手く巻けず卵液が飛び出したりする。まだ④で上手く巻けずとも⑤の最終巻きで上手く巻ければいいのだけれど、これもなかなか難しい。モタモタして固くなる。よくない!とにかく卵焼きをたくさん作ってきれいにトロトロふわふわの卵焼きを作りたい。それを食パンに挟んで食べるんだ。

校閲を辞めた

8月31日付で辞めた。次の目処はない。私があれこれ書くのはおこがましいかなとも思ったが、そもそも自分の記録のために扱っているブログなので自分のために書き残しておく。

 

校閲とひとくくりに言ってもそれぞれ違う。基本的な内容は大体同じだとは思うけれど。校閲ガールのように誤字脱字をみるのはもちろん内容確認をすることもある。私は新聞校閲だったので新聞独特の用語の確認があった。あと洋数字と漢数字の使い分けとか。多分「きょう」や「あした」をひらがなで書くのはその癖だと思う。

明らかに間違っているのに記者に確認したらこのままでいい、と言われることなんて日常茶飯事で、記者によっては話を全く聞いてくれない人もいたので少しでも話を聞いてもらうためにいかに腰を低く愛想よくしていくかがポイントだった。それでも大抵の記者や支局長は丁寧で、わざわざありがとうございますと伝えてくれた。デスクも含めて本当にいい人たちが多かったと思う。部署にもよるけれど出勤時間が14時とか17時とかで終業時間もそれに伴って23時とかで夜遅いので残業とかあまりないかったと思う。むしろその日の仕事が終わってはやく切り上げるとかよくあった。ご飯を食べるために席を外すことが難しいときもあったのでパンやあらかじめ用意してきた簡単な弁当などを食べながら仕事していることもあった。まあ単純に食堂のご飯に飽きたっていうのもあるんだけど。自転車で通勤している人が多かったように思う。終電がない時間になるとタクシーで帰れるのが良かった。会社の中に眠れる場所もシャワーもあったし食堂や売店はもちろんのこと資料室もあったので会社の中で暮らせるなとかよく考えていた。会社に泊まるなんてよっぽどのことだけど。台風とか災害があるときこそ必要とされるものなのでそういったときには大変だった。記者もこんな中取材に行って記事を書かなくてはいけないのかと思うと本当に大変だなあと思っていた。

校閲で特に間違えたくないのは電話番号や住所、名前だなとよく思う。見出しと中身が一致していないのもダメですね。誤字や誤用もなるべく出したくない。NIE(教育に新聞を)とかやっているし…。言語は移り変わるものなので誤用なんてないということもあり、新しい使い方や新しくよく使われるようになった単語の使用などに柔軟に対応していこうという動きはあるが、検討会やらなんやらで遅れて追いつくことは多々あった。何にせよ現段階で定められている意味を使いたい。私は日本語に詳しくないのでいろんな人にとてもお世話になった。「丹精込めた」はダメで「丹精した」とするとかね。基本的にはいろんな年代の人にわかりやすく、というのは言わずもがなだけど、3桁の数字は横並びに書くと読みづらいからなるべくしないとか、カタカナや英語の略称やらを使いすぎないようにしようだとかいろいろあった。読者は年々高齢化しているので仕方がないと思う。紙面の体裁を整えるのも仕事の一つで、例えばある箇所については字体をゴシックで統一するとか電話番号の書き方はこうだとか。当たり前なんだけど見落としがちなことってたくさんあって、そこを防ぐ最後の砦のようなものが校閲なんだと思う。

新聞社ならではなのかはわからないけれど、独特の用語がそこそこあって最初は本当に訳がわからなかったのも思い出だな。わかるようになるまで時間が掛かった。キャラメルとか預かりとかyフローとかいろいろ。

校閲の仕事は好きだったし楽しかったと思う。いろんなことを知ることができたし、もう一度勉強し直さなきゃなと思うこともたくさんあった。ジッと座って黙々と作業することが私には割と向いているんだなとかどうしてもやる気が出ない日でも最低限はこなせるようにする方法とかがわかったし。また縁があればやりたい。