どこにも行けない

結局どこにも行けない

2/2-座談会

完全に逃避のためにブログを書く。文章を書くことから逃避するために文章を書くのなんか笑えてくるね。

 基本的にこのブログは好き勝手に書いていて、落ちも何もない。とりとめのないものですね。そしてブログタイトルの通りの長い文章は書いていない。ウケることに。長い文章書くの難しいよ。

 

先日、座談会のようなもので質問に答える側になることがあった。座談会のファシリテーターは私を以前から知る人だった。質問は、「ある経験をしたことでどのように自分が変わったのか」。私の答えは「以前よりも他人に優しくなれたし他人の考えや行動を受け入れられるようになった」。そのときにファシリに「たしかにそれまでは一人で何でもできる!みたいなところがあったけれど、いろんな人の助けが必要であったり人の考えを優先するようになったよね」と言われた。それまでやばい奴だったみたいじゃん、ビビるわ。間違いなくそうだとは思うんだけどね。なんというか、これまでで感情論って邪魔では?みたいなところがあって、そういう感情論を抜きにして必要かどうかで人をみていることがあったのかもしれない。それが人って感情とかその物に込められた思いとかを大事にするんだなって。そこに込められた思いに共感して物を買うことがあるんだなって。それは自分にもあって、例えば服を買うときにそこのブランドがどういう思いでその服を作っていて、そこに共感したからそのブランドを支持するとか。そうだよなあ、共感って案外大事なことなのかも。もちろん共感できないものもあって、だからって買わないということはあまりないしそういうものが存在することはもちろんあっていいんだけど。共感が全てかと問われればそうではないとは思うけれど、共感するということをないがしろにすることもできないなと思った。なので座談会に参加してちゃんと考えをまとめられたので良かったなと思う。他人はすごい。

 

何だかんだで宿泊することが増えていきそうなので、そのときに気分良く過ごせるようトラベルキットでも買おうかなと思った。金額的にはロクシタンが丁度いいんだけど、イソップみたらイソップ欲しくなってきちゃった。内容もロクシタンよりイソップのが揃っているし。イソップ良さそうだしあの見た目はものすごくときめく。高いけど。とにかく保湿力が高くてとてもいいと知り合いが言っていたので試したい。匂い的にはshiroが好き!特にホワイトリリーが好き。そういえばshiroには洗剤があるんだって。そういう洗剤とかファブリックミストの取り扱いは東京の店舗とオンラインだけらしい。次に東京に行ったら寄りたい。ヘアセットだけなら候補はたくさんある。それこそロクシタンやイソップ、マークスアンドウェブ、オウパラディとか。でもそこに化粧水やらクレンジングやらが必要で、それらを別々に揃えるのが面倒だから全部もう揃えてしまいたいなと思う。揃えたらもうそれ使い続けたいし。でもしばらくはそのあたりが決まらないかも。結局バラバラになったりしてね。まあそれはそれでいいのかも。

 

あしたはいつもよりちょっとだけドレスアップしなくちゃいけない。ドレスアップするのは楽しくて好きだけどいろんな人と話をしなくてはいけないかもしれないのは嫌だな。楽しく過ごせるといいな。

子どもを生まないという選択

将来のことが不安すぎていろいろお金の計算とかしてみるんですけど、子どもを生んで育てることって難易度高いですね、やっぱり。

 

「出産50万、幼稚園から高校まで公立523万円、幼稚園から高校まで私立1770万円」というのを新聞で読みました。いや、お金めっちゃかかるじゃん。これ学費とかだけで考えているわけで、ここから大学の費用とか他にもいろいろかかるわけじゃないですか。年収1500万円が子どもを不自由なく育てていけるボーダーラインとも言われていて。共働きでお互いの年収800万円あればいい。年収800万。なるほどね〜って感じですよね。このお金の計算の時点でも子どもを生むことってすごく厳しく感じる。

あとは子どもを生むタイミングですよね。子どもを生むとなると職場を離れなければいけない。そのあとも子どもを中心として生活サイクルや仕事をこなしていかなくてはいけない。それができる社会ですか?違いますよね、今はまだ。これは今後絶対に改善されるべき点。子どもを生んでも職場復帰がすんなりとできること(これは使用者側だけがやるのではなく労働者側も労働をつつがなく行えるそれなりのスキルを身につける必要があるのかもしれない、まあこれはちゃんと働いていれば当たり前につくものだとしてください。資料作成だったりとかその会社で必要とされる労働を提供できるとか。)、子どもがいる人でも働きやすい環境であること。まあやりたくない無理な残業がなくなるといいね、と思う。残業がなくても十分生きていける給料と残業がなくても仕事がまわっていくようになるといいのにね。いつになったら過労死というものがなくなるのかな。仕事をしながら子育てをするのってとっても大変だと思う。男性が育休をとることが難しいというのもよくある話で。子どもと一緒にいたいのに一緒にいられない人ってたくさんいるんだろうなと思う。生まれたての赤ちゃんなんて愛おしくて仕方がないだろうに。男性も女性も子どもを育てていくことに不自由ない社会になればと思う。

自分は女性で、かついろんな話を聞いていて不安だなと思ったこととして子育てのほとんどの責任を自分が負わなければいけないかもしれないということ。パートナーが子育てにそこまで参加してくれなかったらどうしよう、とかね。夜中に子どもが泣いているのに起きるのは自分だけだとかお風呂に入れるのも自分でご飯を食べさせるのも自分だとしたら、それってめちゃくちゃな負担じゃないですか。共働きであったとき、自分だけが面倒をみなくちゃいけないのって嫌だよな、疲れるよなと思ってしまう。子育てって一人でやるの無理でしょ。それをやってきた人はすごいと思う。本当に。でもそれを強制する人、一人ででも子育てできるじゃない、甘えないでとか言う人は本当に嫌い。苦しいことをやめることができるのにいつまで続けるつもりなんだ。そういうことを考え出すと、本当に不安。そうこう考えると子どもを生むという選択は難しい。私にとってはね。

子どもを生むこと、育てていくこと。自分の子どもが真っ当に育つかもわからない。生まれたばかりの赤ん坊を一般社会で生きていくことができるような人間にするのってとても難しいことだと思う。それにこれからの時代を生きていくというのも、何というかすごく厳しそう。子どもがいたら楽しいかもしれないだとか、いろいろプラスな面もたくさんあるけれど、それ以上に私にとって難しいと感じるものが多すぎる。子どもを生まないという選択になってくるのかもしれない。

1/17

好きな人には幸せになってほしい。私を傷つけた人にはそこまで幸せになってほしくない。脳内から消し去ることは難しい。消し去りたいんだけど。はやくいろんな人の記憶から消え去っていなかったことにされたい。そのために人間関係を切ったのにうまくいっていない。切り捨てたはずの人たちから連絡はやってくるばかりで、好きでたまらない連絡したい人には何と連絡をすべきかわからず過去のやりとりを遡ってばかりいる。あの人たちと一緒にいると自分の中で一番嫌いな許せない自分になってしまう。自分の問題で後で落ち込むというのが数年続いてどうしようもなくて離れることにした。自分の責任なのは間違いない。焼き払えたらいいのに。

 

俗に言う女たらしは嫌で、かといって女というものに対して幻想を抱いている人とも付き合えないかもしれないという話をきいた。たしかにどちらも付き合うのは難しそう。嘘をつく人も嫌だけれど嘘をつけない人も嫌だというのと似ているのかもしれない。

 

長い間感じていた違和感について少しずつではあるものの説明できるようになってきた。嬉しかったことも楽しかったことも悲しかったこともつらかったこともどう言葉にして伝えるべきかわからなかったけれど、それを伝えることが本当に少しずつではあるもののできるようになってきて、もどかしさが減った。人生が良い方向に進んでいるのだと思いたい。

 

夕飯を食べてからうたた寝している間にいくつか連絡がきていた。寝ているときほど連絡はくるような気がする。夜中に返信するのもはばかられるので朝にでも返信しようと思う。

 

きょうはコーヒーを飲まなかった。鉄道遺失物を販売しているところに置いてある本はなぜだか下巻が多いような気がした。

1/11

本当に久しぶりにまともに生活している。夜には眠って朝には起きる。日中は活動する。すごい。腰と足と肩と首がだるくて仕方がない。帰宅して夕飯を食べてからは机に向かっている。すごい。めちゃ偉い。やばい。立派。朝は白湯を飲んで簡単に味噌汁を作って朝食をとっている。すごい。部屋はきれいなままをキープしている。それどころかどんどん物を捨てて掃除を進めている。やばい。偉すぎてやばい。寝る前には筋トレと小顔マッサージとストレッチをしている。お風呂上がりには全身に保湿クリームを塗っているし定期的にスクラブやヘアパックなどをしている。うわすごい。自分を可愛がってる。すごい。これでちゃんと痩せることができたら自信がつきそう。がんばってほしい。

 

はー疲れた。何でもいいけど早く帰っていい感じの音楽きいてぐっすり寝たい。

わからない

得体の知れない何かに怯えてメソメソと泣く。自分は割と人間としてやれているほうだとは思うけれど欠如しているものが多い。あと少し踏ん張るべきところで踏ん張れない。協調性を求められると胃がキリキリして逃げたくなる。弱く軟く生きてきたくせに偉そうなことばかり言ってしまう。何にもできないくせにね。

いつもいつもこんな暗いことばかり考えているわけではないはずだけれど、人といるとダメになる。取り繕うのがうまくなってきたのは間違いないけれど、いつか自分が普通の人間ような反応ができていないことが露呈してしまうんじゃないかと思っている。湯船に浸かるとき、私はいつだってその日の会話を思い返してうまくやることができていたか、あのタイミングでこう言うべきだったのではないかと考える。相手が求める言葉をいつだって投げかけたいのになかなかうまくいかない。

なぜみんなそんなに人とわかりあいたいと望むんだろう。人は人とわかりあいたいものだという前提条件がわからない。それが常識だとしたら恐ろしいことだと思う。わかりあうことなんて根本的には無理ではないかというのは割といろんな人が言っていることだからそうなんだと思う。わかりあいたいと望む人がいるのもわかる。けれどそれが一般的な共通認識としてあるのだとすれば不思議だ。自分をわかってもらうことにどんなメリットがあるんだろう。私はそのとき何を考えて何を思って行動していて普段は何をしていて好きなものは何でどこに住んでいてなんて知られたくない。どこに行っていたとかどこに行くかなんて知られたくない。わざわざ説明したくもない。自分から言うことはあっても聞かれたくはない。好きな人のことをわかりたいという気持ちはわかる。でも全てをわかったようになるほうが面白くないと思うし、人間なんて刻一刻と変化するものだと思うからそこに意味なんてないんだと思う。好きな人にはいつだってその人の興味のある世界で生きていてほしい。新しいことを見て感じていろいろ考えて考えてその断片でも教えてくれたら嬉しい。表面的な理解。私は人のことを知ってもあまり引かない自信だけはあるけれど、それと同じくらい人に全てを見せたら引かれる自信がある。だからわざわざそんなことしないよ。わかってほしいって気持ちがほとんどの場合は湧いてこない。そうなんだ、そういうこともあるよね、って感じでいい。"わかる"より"そういうこともある"って感じの肯定を求めてる。

人にわかってもらおうとするとき一番の問題は全てを説明しなくてはいけないことだと思う。自分の人生から考えていたこと読んだ本聴いた曲まで説明しないとそこに至ったわけがわからない。一から説明しないといけないということは最近気がついた。そうしないと大抵の場合は変なことを言うやばい奴みたいな扱われ方をする。それじゃ困るんです、私は。だって私はものすごく普通だから。そこでやばい奴扱いされても何も創造できない。そう思われることにデメリットしかない。それを説明するのも嫌だしパーソナルなことすぎて踏み込まれたくない。人に自分をわかってもらうことに吐き気がする。なぜここまで嫌なのかがうまくつながらなくてわからない。いつだってどこだって浮いているように感じる原因は案外こういうことにあるのかもしれないな。思考がまとまらない。頭が悪いからかな。何晩も何晩もけとばしていきたい。人と関わるのは恐い。

岐阜市の話をさせてくれ

あけましておめでとうございます。2017年はいかがでしたか。私はいろいろありました。2018年も生きましょう。

 

そんなことはどうでもよくて、岐阜市のことを話そう。

先日長良川温泉に宿泊した。長良川温泉岐阜市にある。名古屋駅からJR東海道本線岐阜駅までは約20分。片道470円。岐阜駅までは名鉄名古屋本線JR東海道本線があるんだけど、揺れが少ない、新幹線からの乗り換えがしやすいなどの点でJRがいいと思う。JR岐阜駅にあるバスターミナルの13番から岐阜バスに乗り約20分の「長良橋」で降りる。片道210円。岐阜バスSuicaなどの交通系ICカードが使えません、現金で…。唯一使えるカードは岐阜バスでしか使えないayucaというカードです。可愛いよ。宿泊するところや周辺観光などは長良川温泉のサイトから。

 

長良川温泉川端康成ゆかりの地とのこと。f:id:Sanjo_14:20180105204808j:image南方の火を旅館でちょろりと読んだ。川端康成が宿泊したところは川端康成ゆかりの宿だ!と宣伝しているけれど、食事がまずいと書かれていた。こういうのってよくあるよね。川端康成は初恋の相手に会いに岐阜にきていたとのこと。彼にとって岐阜はどういうところだったんだろう。川端康成初恋小説集を読もう。

 

長良川温泉は鉄分を多く含んだ茶褐色の湯。婦人病によいとされているとのこと。

 

個人的にここ行ったら楽しいだろうなあというというところを長良川温泉から出発していくつか挙げます。

10:00にチェックアウトするとしよう。そこから長良川デパート湊町店へ。近くには鮎菓子で有名な玉井屋本舗もあります。そこらでちょちょいとお土産を買うのも楽しい。ついでに十八楼前の手湯に浸かってみたりして。河原町のあたりは風情があって素敵なところです。長良川沿いを歩くのも河原町を散策するのも楽しい。

 

そこから徒歩で岐阜公園のあたりに行く。岐阜城金華山(標高329m)の山上にある。ロープウェーで行くといいと思う。ハイキングもできるみたいです。なかなかきつそう。ロープウェーを降りてすぐに金華山リス村というものがあります。いいよね。岐阜公園のあたりには岐阜城をはじめ岐阜市歴史博物館などがある。個人的におすすめなのは名和昆虫博物館!あれは楽しめます。モルフォチョウの展示や世界の珍しい昆虫が展示されていて飽きない。

f:id:Sanjo_14:20180106201400j:image珍しい昆虫がいっぱい。

 

ここらで休憩。コーヒーを飲むならぜひYAJIMA COFFEEへ!ここのコーヒーとってもおいしいです。後味がよかった。感動しました。ケーキもおいしいです。このときは紅茶のチーズケーキを食べました。なぜコーヒーに紅茶のケーキにしたのか食べながら疑問に思った。おいしかった…。f:id:Sanjo_14:20180106015424j:image

 

ここからバスに乗るかレンタサイクルをかりるか迷うところ。暖かい季節ならぜひレンタサイクルを!岐阜公園で借りて岐阜駅で返すことができます。1日100円。安い!バスに乗るなら岐阜公園歴史博物館前というバス停からが便利です。JR岐阜駅方面へ。

 

岐阜駅へ向かう途中にはみんなの森 ぎふメディアコスモスというところがあります。伊東豊雄氏設計。図書館とか交流センターとかがある複合施設です。こういう図書館が近くにあったら通うだろうなあと行くたびに思う。スタバもあるし。閉鎖的でなく楽しめる。小さな子どもにもその子どもの親にも学生にも大人にもみんなにとって優しい図書館。

 

メディアコスモスから岐阜駅に向かう途中、新しい店を発見しました。その日は休みであいてなかった。本屋がブックカフェとして生まれ変わったとのこと。喫茶ヨジハン文庫。行ってみたいですね。

 

進んでいくとやっと柳ケ瀬商店街につきます。長良川温泉からここまで歩くと結構かかる!

 

柳ケ瀬商店街は行くといいと思う。ここならランチができる場所はたくさんある。もしくは玉宮町に行くかかな。玉宮町柳ケ瀬商店街からすぐです。ミツバチ食堂とか。柳ケ瀬商店街はまちづくりが進行していて、昔からある店と新しい店、昔からある店をリニューアルした店など行くたびに違う表情をみせてくれます。このあたりに住んでいたときはよくフラフラ歩いてた。CINEX&ロイヤル劇場で映画をみたり。ロイヤル劇場では名作映画を500円でみれるんだって。みたことなかったな。しまった。割といつもガラガラで心配になる。いいところです。柳ケ瀬商店街には古着屋もある。よくloopという店の店員さんがスケボーしてる。楽しそう。

 

柳ケ瀬商店街のすぐそば美殿町商店街いうところがある。美殿町もまたいい。よく行っていたのは古書と古本 徒然社と美殿屋漬物店!

徒然社であれやこれやと本を品定めしているのとっても楽しかった。本棚の上から下まで見て店内を物色してまた同じところを見て悩んで…。雑多に積んであるというよりジャンルに分けられて丁寧に並べてあります。絵本とかに力を入れているイメージ。f:id:Sanjo_14:20180110030037j:imageこのときは100円セールをやっていました。

美殿屋漬物店の漬物大好き。よく買ってた。漬物とご飯とお味噌汁があれば割とどうにかなるし住んでいたところから近かったこともあったから。22時まで営業しているのもありがたい…。この周りには飲み屋さんとかもあります。おでん屋さんがあって、いつもいい匂いがしてたな。近くにあったうどん屋さんも朝からいい匂いがしていた。うどん屋さんは店主が高齢で去年やめちゃったみたい。悲しいね。

ここから少し歩いたところにコーヒースタンドとかもできたんだって。すごい。私は大通りに面したフルーツ松栄堂のフルーツジュースが好きで夏はよく飲んでいた。めっちゃ安いんですよ。200円とか。そしてすごくおいしい。帰り道とか駅に向かう途中とかでフルーツジュースを売っているときはつい買って塾に通う高校生を横目に飲みながら歩いてた。

 

ここまできたらあとはもう岐阜駅です。岐阜駅でお土産を買って帰ろう。JR岐阜駅のアクティブG内にあるTHE GIFTS SHOPがおすすめです。岐阜県のお土産物がたくさん売っています。それこそ家具まで。食品やお酒だけでなく陶器や和紙のアクセサリーなども売っています。素敵なものがたくさんあって嬉しくなる。自分用についつい買っちゃう。このときは大垣の大橋量器という会社の作る枡を買いました。カラフルな枡で可愛い。

 

これにて岐阜市めぐりは終了。また岐阜に行きたくなった。飛騨高山もとても素敵なところですが岐阜市もまた素敵なところです。中津川市とかもね。

岐阜市って本当にちょうどいい街だなと思う。適度にいい感じのお店やスポットがある。かといって雑多とした息苦しさもない。川も山もある。こういうちょうどいい街で暮らしたい。

ダッフルコートの行方

記憶にある中で一番古い洋服が真っ赤なダッフルコートだ。

冬になると着ていた真っ赤なダッフルコート。初めはぶかぶかだったのについに小さくなってしまって泣く泣く手放した。思えば幼い頃はかわいい服が大好きで、ピンクやフリフリの服ばかりだった。黒やグレーの服を着たくなくて箪笥の前で泣いて嫌がって母を困らせた記憶がある。今と正反対。小学校4年生のときにぶりっ子だと陰口を言われるまでは毎日スカートだったな。

その真っ赤なダッフルコートで水族館にも遊園地にも行った。いつだってその鮮やかな赤は気持ちを明るくしてくれた。もう着れないとわかったときは悲しかった。それからあのときの真っ赤なダッフルコートのようなものをなんとはなしに探してしまうくらい気に入っていた。

そうして幼い頃に別れたダッフルコートと再会を果たしたのは中学生のとき。中学校に入り、制服の上に着るコートとして選んだのはダッフルコートだった。規則で紺色の無難なダッフルコートになった記憶がある。とにかく重くて、しかもサイズも大きくて全く好きになれなかった。今思うとあれはあれで良かったんだけど、そのときの流行りはすっきりとした感じのコートだったからとにかく嫌だった。中学卒業と同時にそのダッフルコートは近所の誰かにあげた。

そうしている間にピーコートやらチェスターコートやらいろいろと着る日々。でも一昨年の冬に突然思ったんです。何年も着続けられるのはダッフルコートなんじゃないかって(多分そんなことはないんだろうけど)。そうして始まったダッフルコート探し。色からはじまって、とりあえず3年は着られそうかどうかとか・・・。いやいや、そもそもダッフルコートって何?ってなり、ダッフルコートについて調べる日々。どうでもいいんですけど、WikipediaのダッフルコートのページFranz Ferdinandのボーカルのアレックスの写真が使われていてウケます。結論としてはある程度ダッフルコートとしてのポイントは押さえつつ着やすいものになった。Gloverallとか欲しいなと思ったけど私にはまだ早い。実際にお店に足を運んで手触りや成分、着心地や着た時のシルエットとかいろいろ見比べていくうちに自分にとって大事なポイントが判明した。それは文庫本が入るサイズのポケットがついているかどうか。これすごく大事。学生のとき気になる人は冬になると茶色のダッフルコートのポケットから文庫本をひょいと取り出して読んでいたから。あれを真似したかった。それと単純に文庫本すぐ取り出せると時間を潰すのにいいからね。いくつかの候補の中からこれだと決めて年が明けてすぐに買いにいった。赤色ではなく紺色のダッフルコート。ダッフルコートと言えば赤でしょ!とどこかの雑誌に書いてあって、あまのじゃくが働いた結果だ。そして今の自分にとっては赤より紺だった。赤を着るには微妙な年齢すぎる。もう少し年を重ねてから着る赤のほうが魅力的だと思う。ちょうど30くらいになってからかな。買ったダッフルコートは紺色でポケットは文庫本が入るサイズ。ダッフルコートにしてはタイトな感じ。丈感はこのごろの私には珍しい膝よりちょい上丈。しっかりあたたかいので満足。今はこの紺色のタイトなダッフルコートに落ち着いたものの、今後買い直すときにどうなるかはわからない。そのときの自分にとってベストなダッフルコートを見つけていけたらいいね。