どこにも行けない

結局どこにも行けない

4/10

気を使わないでいい人というものが存在しないので、楽にしたいときには1人になるしかないんだろうなと思う。

 

メンヘラだとか病んでるだとか言われるのがものすごく嫌。不快だ。あと好きな食べ物とか好きな音楽とか聞かれるのが嫌。適当に答えることはそれらを本当に好きでたまらない人を踏みにじるような気がするし、かといって自分の好きなものを簡単に言いたくもないしで難しい。実際自分が大好きなバンドの名前を出されて反応して、実は相手はそこまで詳しくないし大好きでもなかったことが何度かあって、割と気まずくなった。

そういった質問は初対面だったり関係が浅いときに聞かれるからなおさら嫌だ。好きなものって心の中をのぞかれるような気がして身構えてしまう。自分の中で話せる好きなものと徐々に話せるようになる好きなものなどがあり、音楽は軽々しく話せないものだ。自分は気軽に聞くくせにね。

最近何しているの?といった質問も苦手だ。答えたところでふーんで終わるような。答えた意味もないし、そもそもどう答えるのが正解かわからない。

 

あまり星座占いだとか性格占いみたいなものは個人的には信じないし、御都合主義的にしか使わないんですけど、しいたけ占いに関しては少し揺さぶられた。基本的に誰にでもある側面について当てはまることを言っているであろうことなんてわかっているけれど、もしかしたらそう思いながら生きていて苦しかったのかもしれないと靄が晴れたし、今後どう対応すべきかのざっくりとした道すじが見えたような気がした。だから読んでよかったなと思う。

 

なんとなくだけど、自分の信じる軸というか芯となるものやことを自分や他人、人間に委ねないほうがいいような気がしている。人間ってもろいから。

その中で自分で信じることができる美しいものを作り出すことができたらそれは幸せだろうなと思う。それを作り続けることはとても難しいことだろうなぁ。

自分の愛しているもの、美しいものを信じて守っていきたいよ。

 

気づいたら行こうと思っていた展覧会が終わっていた。やってしまった。

大阪のトラベラー展は会期中にあと2回は行きたいのだけれど、行けるだろうか。

 

先日アンティークのグラスを買った。まだ使えていない。美しいもの。

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4/3-がんばる

「先輩のほうは後輩のことを覚えていなくても後輩は先輩のことを覚えているってあるあるだよ」

私は先輩のこと全く覚えていなかったし顔を見ても多分思い出すことができないと思う。後輩のことはもちろんわからない。同輩ですら顔と名前が一致しない人が多いのに。認知の範囲が狭いのかな。

 

電車で微妙な間隔をあけて座る人がつめたらもう1人座ることができるはずなのにね。こんなことばっかりだ。

 

結局今回の無印良品週間では何も買わなかった。なんでだろう。気づいたら最終日で、でもわざわざ無印良品に行く気も起きなくて、帰路についた。

 

思ったよりやることが多いしあまり人と関わることに時間を割くことができない。いつもいろいろと立て込むとこうなる。ついでに気分も落ち込んでいて、全てがうまくいかないようなことしか考えられない。まあ時期的なものなので1週間くらいすればどうにかなる。どうにかする。

間違いなく気持ちはぐちゃぐちゃでマイナスなことしか考えられないし自然と俯いて歩いてしまう。そのままいくと良くないし、自分で良い状況を作らなくてはいけない(メンタルコントロール的な意味で)ので背筋を伸ばして気持ち微笑むような表情を作って歩く。すると多少はマシな気持ちになるので外側から作っていくのもありだよなと思う。ついでにちゃんと化粧をしていたらふと鏡を見たときいつもより可愛い!みたいな気持ちになれる。まあ痩せろよ!って気持ちにもなるんだけど。

きょうは口紅のノリがよくなかった。唇の調子は悪くないんだけど、あまり水分をとっていなかったからかもしれない。ちゃんと水分とってこ〜!

あと久々にコメダ行った。

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東京

東京に住みたい。よく言うキラキラしていてオシャレで〜みたいな感じではない、多分。私の中での東京のイメージってサカナクションユリイカだと思う。

サカナクション - ユリイカ (MUSIC VIDEO) - YouTube

どことなく冷たくて何かに追われているような感じ。

 

自分が何者でもなくなっていく感覚。この感覚が個人的には大好きだ。自分が何者かであると思い続けることのほうがよっぽど苦しいし、何者かであらなければならないだとか、何者でもないのになぜそう思うのかとかいろいろ考えなくていいだろう。まあきっとそれはある側面においてのないものねだりなんだと思うんだけど。現に私は何者でもない。

東京に住むということはキラキラしていてオシャレな生活を営めるわけではなく、多すぎる人間とそこにいる自分、誰にも興味を待つことなく持たれることなくタンパク質でできた人形のように扱われる。他者との境目がなくなっていくような感覚。どこにもキラキラしたものはなくただありふれた生活がそこにはある。

 

もしかしたら私は他者と境目がなくなっていくような感覚がほしいのかもしれない。自分が馴染んでいると感じたいのかもしれない。今まで悪い意味で浮いていたように思うから。

そこにあるただただ特に変わったことのない生活。でもその東京での生活には便利さがあり、ネオンがあり、住宅街があり、他の都市では味わうことのできないものがある、おそらく。いつかは東京に住みたい。そう思いながらまた1年を生きる。

3/21-よく胸が苦しくなる

自分が感じていたよりストレスが溜まっていたらしく、水曜は全く動けなかった。午前中の予定をキャンセルする。天候もなかなか荒れていたので動けないことも仕方がないような気がした。

レイトショーに行く約束をしていたので、夕方ごろにはごそごそと起き出してワンピースに着替え化粧を施して家を出る。この頃は財布と携帯とハンカチくらいしか入らないような小さな鞄で出掛けるのが個人的に気に入っている。冬はコートにウォークマンやハンドクリーム、文庫本と定期券を入れておけるのでこういうことができる。夏場は大きなポケットがないので、鞄に入れるしかなくなる。ポケットがいまだに大好きなのでポケットがないと不便だと思う。

少し遅れて待ち合わせ場所に到着する。先にチケットを購入し映画がはじまるまでお茶をする。どのフェスが良さそうだとかあのバンドの新譜が出るだとか異動先がどうだとかどこそこのハンバーガーが美味しいだとかとりとめのない話をする。イソップのトラベルセットをもらう。嬉しい、とても。袋からいい匂いがする。今後泊まることが増えるだろうからこれを使ってねって。すてき。心の支えになる。

バーフバリをみる。単純に面白かった。ひたすら主人公が無双する。バーフバリについてはあらゆるところで言われている通り、わけがわからないし叫びたくなる。これは本当に。みたあとなぜか顔が生き生きしてくる。何も考えず、みるのが良さそう。

シガーバーでオムカレーを食べる。ガラムマサラなどのスパイスをみるだけでバーフバリを思い出しニヤける。フルーツワインが美味しかった。久しぶりにその人と楽しく過ごせたように思える。自分が笑顔で対応することが必要であること、話を聞くことが大切だと改めて気づかされた。これが常にできるようになれればいいんだけれど。

楽しかったけれど誰とも会わずに1人で過ごす時間がないと本当につらくて、胸のあたりが苦しくなる。文字通り息を吸って吐いているだけの1日を過ごすことはやめよう、せめて何かをしようと思い人と会うことを選んだけれど、どうもダメらしい。1人で出かけるようにしようかな。胸のあたりが苦しくなるのはおそらく自律神経のバランスが乱れているからだと思う。もともと低血圧だったりストレスに弱い上に生活リズムが乱れているのでそうなるのもわかる。吐いてしまうようになったら病院に行こうと思う。

3/15-いつもより明るい

暖かい日が続く。外に出ると家の中より暖かくて毎日玄関を出た瞬間に笑ってしまう。日差しが眩しいのが少し辛い。夏になったら堂々とサングラスをかけられるけれど、今の時期はかけづらい。顔をしかめながら歩いている。私は幼い頃から眉間に縦ジワではなく横ジワができる。父もそう。縦ジワは意識してできるように習得した。縦ジワを作ろうとすると眉毛の上にくぼみができるので鏡を見るたび笑えてくる。

 

帰り道、手をつないで歩く2人に目をとられる。私には誰かと手をつないで帰る場所はない。1人でぼんやり帰る。誰かと手をつないで同じ場所へと帰るということが今後の人生で訪れるのだろうか。イメージできない。最近は同棲だったり結婚についてのことばかり書いていて我ながら飽きてきた。もっと他にないのかと思う。

 

ストッキングを脱いだ足はひどく乾燥していてちゃんとクリームを塗らなくちゃなぁと思う。数ヶ月ほど体重計にのっていない。体重いくつかな。そろそろ毎日計測したい。あとランニングとかはじめたい。最近は体を動かそうかという気持ちがでてきた。何年も前に毎日モヤモヤしているときに走ったら解消したことがあったのを思い出した。気軽に走ろう、まずランニングシューズを買うところから!

 

足裏を改めて眺めてみる。サイズ的には23〜23.5㎝なのだけれど、それ以上の大きさに見える。やたらと中心が痛むので触る。固い。とりあえずゴリゴリやってみる。そういえば、私の背中の真ん中あたりもとても固い。内臓が良くないのかもしれない。健康的な生活、送りたいなぁ。

3/14-落ち込まずにすむには

月曜にいつもよりバタバタしたせいで火曜の午前中は上の空だった。午後からは多少なりともマシにしようとしたけれど、なかなかうまくいかず白昼夢をみているような感じのままの1日だった。

 

人と会った日に後で1人になると落ち込んでしまう。これがもし1人になるようなことがなくなった場合、つまり誰かと暮らすなどした場合には落ち込むことなどなくなるのかなとか電車の中で考えていた。誰かと一緒にいたほうが心地良い、1人の時間がないほうが良いと思える日が私には来るのだろうか。一緒にいて苦痛ではない人が人生でいないわけではない。ずっと一緒にいるということ、同棲みたいなことはしたことがないので苦痛ではないままでいられるかどうかはわからない。1人になる時間がないということが苦痛に感じるかもしれない。1人になるとアホみたいに落ち込むのに。かといって落ち込んでしまうようなことから目を背けることができないし、それをできるのは自分だけで反省するのも今後どうすべきかも考えられるのは自分だけなのでやるしかないと思う。人と過ごすと思考があっちこっちにいってしまうのでこうしたことを考えることはおそらくない。なので1人になる時間が少なく、また1人で過ごしているときにはタスクを消費していく生活はどんな感じなんだろうと思う。突然1人で温泉とか行きそう。

 

会社の社長とかよりも学がある人が好きだ。自分には学がないからかもしれない。私の周りにはそういう人があまりいないし教養がある人もそんなにいないように思う。教養がある人ね、いいですよね…。ある人が言っていたペダンティックエロに思わずやられてしまった。めっちゃいいな…。

 

寝るために帰ってきているような生活なのに部屋が荒れていく。カバンから物を出して入れてを繰り返すうちに床に物を置いたままになってしまう。本とかも。もう何日もコートにブラシをかけていない。分厚いコートも薄いコートも。久しぶりにコートにブラシをかけると細かな何かがでてきて楽しいので割と好きだ。でも帰ってきてハンガーにコートをかけるともう面倒になってしまう。毎日コートにブラシをかけられるよう余裕を持って暮らしたい。

 

まーた起承転結のことを考えずに書いちゃったよ。あーあ。

 

3/7-往生際

何か書きたいと思って開いたものの何も思いつかずただただ真っ白な画面のまま1日過ぎた。書きたいことはおそらくある。それがうまく出てこない。困ったなあ。なので一旦どうってことないただの日記を書こうと思う。

 

2月の後半から現在にかけて、他人からしたら普通くらいの忙しさだろうけれど私にとっては大変な忙しさが続いており、ゆっくり心配事もなく眠ることができない。買ったエナジードリンクは飲むことを忘れられて冷蔵庫で冷やされたままでいる。ついでに言うと買ったことを忘れられたエナジードリンクが日々増えている。ウケる。最近みるライジンとかが何となく好きで買う。毎日文字通り頭を抱えている。頭を抱える暇があったら行動すればいいのにって思う。わかってるんだよ、わかってる。

 

他人が他人に対して好意を持ったときにやる行動をなんとなくわかっていて、そしてそれを知ったときや見たときに軽いショックを受ける。

 

終わったことに対していつまでもいつまでも引きずってどうすべきだったかを考えてしまう。あとないものねだりがひどい。手に入らなかったものやこと、手に入ったと思っていたのに手に入っていなかったものやこと、手に入ったはずなのにいつしかどこかにいってしまったものやこと。仕方がないと割り切れない。往生際が悪いなあと思う。引き際が肝心だ。当たり障りのないことを言って失望させることも引き裂くようなことを言って傷つけることもせずきれいに終わらせてみたい。

 

daokoの「きらきら」という曲をきく。「おとなになったら おとなになったら わたしの価値って同じじゃなくなる? おとなになっても おとなになっても わたしはわたしのうた、うたいたいよ」という歌詞について考える。だをこがdaokoになってDAOKOになった。「打上花火」は大ヒット。岡村ちゃんBECK、米津とのコラボ。彼女はハタチになった。もうすぐ21歳!

 

ストレスがたまるとお菓子作りがしたくなる。クッキー焼きたい。