どこにも行けない

結局どこにも行けない

岐阜市玉宮町は飲み屋か服屋か

岐阜市の話を続けると、名鉄岐阜駅近くに玉宮町というところがあった。

岐阜市に住んでいたころは歩いていることが多くて、それをもしかしたら散歩と言うのかもしれないけれど、移動手段がバスか徒歩しかなくて、バスで行くほどの距離でもないから歩いていたのと単純に道に迷っていたのでよく歩いていただけのように思う。

その中で見つけた街が玉宮町であり、玉宮町は飲み屋街だと言われていた。

 

玉宮町にある飲み屋は割とオシャレな雰囲気のところが多く、なんとなく飲み歩いたこと数回、いつも適当に入るが故に店の名前など覚えていない。ジビエなども扱っているお遊食おせんはよく覚えている。みそ焼きおにぎりが美味しかった。思えば、私のみそ焼きおにぎりの完成形はあのおせんのみそ焼きおにぎりなのかもしれない。電気ブランソーダ割を飲みながら焼き鶏を食べた。朝びきだから半生でも食べられると綺麗な女将さんに言われ、半信半疑ながら食べたら本当に美味しくて驚いた。後にも先にもあんなにジューシーな焼き鶏は食べていないように思う。若い小娘2人で店に入ったものだから、女将さんはとてもニコニコ対応してくださった。常連そうなおじさん達が女将さんと楽しげに話しながら飲み食いしているサマはいつもならば少し苦手なはずなのに、あのときばかりはとにかく楽しげに見えて羨ましいと思った。何かの常連になるということはそこに居続けなければならないということで、それは私にとってはあまり歓迎できない考えであるがゆえに否定的な思いを持ちがちだが、岐阜にいる間はそんなことちっとも考えなかった。他にも、手軽なイタリアンの飲み屋ではワインを飲みながらティラミスを食べ、そばにいる外国人の何語かわからない言葉に耳を傾けるなんてこともしていた。結局あれは何語だったんだろう。

 

そんな飲み屋が軒を連ねる中で、チラホラと服屋を見かける。服屋が空いているような時間には気づくことができず、飲み歩いた後にいつもふと気づく。少しお高めな感じね、なんて思いながら、ああこれいいな、あれもいい感じだな、なんて考えながらウインドウを眺めていた。

 

ある日思い立って玉宮町の古着屋PiLZに入ってみた。この古着屋はとっても好みのお店でした、本当に素敵だった。アメリカのヴィンテージもののリメイクとかもやっている古着屋だった。ヘインズの2XLの白Tは確かここで買った。割と有名な古着屋らしい。割と手頃な価格でいい感じのものが買えるし、店員さんのセンスが好きだと思った。

こんな飲み屋ばかりのところに服屋があるんですね、と話すと、何でもほんの数年ほど前までは玉宮町は服屋ばかりで、飲み屋ができてきたのは最近とのことだった。なるほど、私の認識が違っていたらしい。

岐阜市は昔は繊維の街として栄えていたとのことで、その名残がある。駅前の繊維街はもうシャッター街となってガランとしている。中にはまだ営業している店もあるけれど、通行人もいないようなあの場所でどう続けていくのかが課題なんだろうと思う。そういえば、岐阜繊維街だか何だかで岐阜シャツなるものを作っていた。美濃和紙でできているらしい。ちょっと欲しいがメンズしかない。

 

玉宮町には飲み歩くには十分なくらいの飲み屋が軒を連ねているが、その中には昔からの繊維の街の名残がありつつも、素敵な服屋がたくさんある。昼も夜も楽しめる、そんな場所だった。