どこにも行けない

結局どこにも行けない

5/25 - 枠

友人たちのインスタストーリーには日々同期との楽しげな様子、電車内での写真に添えられた憂鬱そうなもう無理だといった文面、ウチらマジ変人といった内容が並んでいる。同期らしき人たちとカラオケで肩を組んでGReeeeNのキセキを合唱していた。あっ無理、と思った。

青春の違いかもな。

 

狭い単身用の部屋でのカップルのことについて歌ったものなんて使用済みのゴムをペチペチ振り回しているようなもんだよなって時々思う。行為についてやたら語る人を見るとうんざりするのと同じ感じがする。割とうんざりするほど使われてきた題材のはずなのにまだこれほど支持を得られて、時にはいいじゃないかと思えるのは不思議なものだな。湯船に一緒に浸かっただとかどうとかさ。恋愛についての歌は大抵同じ感じがする。恋愛って割と共通認識のもとにあるのかな。そんなはずないと思っているけれど。恋愛はあまりにもあらゆる題材にされすぎていて、そういった題材から知らぬ間に吸収しすぎて、よく言われる恋愛という枠組みだけで判断してしまっているのかもしれない。いや、わからん。

 

説明があるというのはありがたいとも思うが、説明されすぎると鬱陶しいなあとも思う。受け手に委ねてしまえばいいのにねと美術館での説明が多いキャプションを見ながらたまに思う。

そういう意味では国立国際美術館でやっていた「トラベラー展」は説明がなかった。本当になかった。笑えるくらいに。しかし決して見所がないわけでもなく、半分見るのに3時間かかった。ウケる。実を言うと全てを見ることができなかった。後日再訪しようと思っていたができず、そのまま終わってしまった。一応駆け足でサラリと流し見たけれど不十分だ。惜しいことをしましたなぁ。説明がある、しすぎるのは正しく見てほしいだとか全て受け取ってほしいという気持ちがあるのかもしれないな。枠組みを決めてしまうことが絶対悪ではない。