どこにも行けない

結局どこにも行けない

「一人でいるときの自分と誰かといるときの自分を同じにしなくちゃいけない」らしい

‪「一人でいるときの自分と誰かといるときの自分を同じにしなくちゃいけない」という話をきいた。難しいな。私は一人でいるときの自分のほうが好きだけれど、それが受け入れてもらえるのかは微妙だ。一人でいるときは誰かといるときよりも暗い。ツイッターの自分は一人でいるときの自分の状態に近い気がする。いつもではないし自分の考え方なんてコロコロと変わるので一概には言えないのですが。一人でいるときの自分は人に見せられたものではないので何かを隔てるくらいが丁度いい。

 

一人でいるときの考え方は偏っているよなと思うし、それを誰かといるときに出してしまったら距離を置かれてしまうような気がする。誰かといるときにはなるべく快活そうに自信があるように見られたい。そっちのが便利そうだから。しかしあまりにも一人でいるときの自分との差がありすぎて、後から自分がまたわけわからなくなることもある。一人でいるときは自分について少しでも理解しようとあれこれ考えるのに、その考えが見事に誰かといるときの自分によって粉砕される。こういったことがよくある。困る。なるべく悩まず気分よく生活したい。後悔したくないんだけどな。

 

なんだかいつも面白くない内容になる。なぜ自分がいつも苦しく思っているのかがわからない。私の人生はいたって普通だ。家庭環境も普通だし、小中学ではいじめられたが身体的ダメージを伴うものはなく、壮絶とは言えない程度のものだった。まあ本当にどこにでもある取るに足りないこと。その後の学生生活だって普通だ。どこでこうなったんだろうな。

 

今後はなんとか一人でいるときの自分と誰かといるときの自分を一緒にしたい。どちらかに偏るのではなく、折衷案を見つけたい。