どこにも行けない

結局どこにも行けない

10/7

気づいたら10月も1週間が過ぎた。あっという間だ。ここ最近は毎日毎日自分の中にある悪意に精神がやられている。他人に腹をたてることをしたくない。本当にどうしようもない。

 

きょうは頭がずっと痛くて、呼吸が浅くなっていた。今もだ。呼吸が浅くて落ち着きのない息遣いになっている。深呼吸を意識してやってみても体の中の空気が入れ替わる感覚はない。いつも少しだけ頭が痛いがあまり気にはしていない。しかし立っていることがつらく、動くと痛みがひどくなるような頭痛はさすがに応える。冷えピタが必要だ。帰宅して風呂前に冷蔵庫に冷えピタを入れておこうと開いたらすでに冷やしてあった。過去の自分に感謝。冷えピタを貼って寝ようと思う。

ついでにマルセイバターサンドを発見した。どのタイミングで食べるか迷う。最後のひとつだ。

 

急に川のせせらぎとか波打ち際の音が聞きたくなってググる。インターネットすごい。たくさん見つかる。水流音を聞いているときだけは頭痛がやわらぐ気がする。

 

いつだって川を見に行けるところに住みたい。きれいな川がいい。川のそばに住みたい。湖のそばも素敵だよね。可能なのかはわかりませんが。

 

日常的な風景、たとえばワンルームで同棲しているような部屋の写真や人混みの中で足早に歩く人たちの写真などに心惹かれなくなった。そこに魅力的な人物がいて完成される気がする。自分の中でそういったもののブームが過ぎて飽和したのかもしれない。誰も彼もが少し前のサブカルの風景の後追いに見えるのでもっと個人の視点が大切なのだろうか。こういうのいいでしょ?というものはよほどのものでない限り良いとは思えない。がんばる。何を?

にしても何かを表現することは誰かに認められたいということのような気がするし、結局のところどうあるべきかはわからない。もどかしい。

 

1年前のブログとなんら変わらないことを書いている。つまり成長も何もなく代わり映えしない日々を過ごしているということだ。気焔を吐くだけ。どうすればいいのか、何をすればいいのかがわからないという状況にある。何もないのは自分が何もしてこなかったからだ。とにかく何かをしたい、と思う。そもそもとして毎日をちゃんと過ごしたい。そこからなのかもしれない。

 

そういえば宇多田ヒカルのツアーのチケットに当選した。嬉しい。母と行く。私はライブに行くと割と泣くのであらかじめ伝えておく必要がある。宇多田ヒカルのライブは泣く気がする。とにかく楽しみ!