どこにも行けない

結局どこにも行けない

校閲を辞めた

8月31日付で辞めた。次の目処はない。私があれこれ書くのはおこがましいかなとも思ったが、そもそも自分の記録のために扱っているブログなので自分のために書き残しておく。

 

校閲とひとくくりに言ってもそれぞれ違う。基本的な内容は大体同じだとは思うけれど。校閲ガールのように誤字脱字をみるのはもちろん内容確認をすることもある。私は新聞校閲だったので新聞独特の用語の確認があった。あと洋数字と漢数字の使い分けとか。多分「きょう」や「あした」をひらがなで書くのはその癖だと思う。

明らかに間違っているのに記者に確認したらこのままでいい、と言われることなんて日常茶飯事で、記者によっては話を全く聞いてくれない人もいたので少しでも話を聞いてもらうためにいかに腰を低く愛想よくしていくかがポイントだった。それでも大抵の記者や支局長は丁寧で、わざわざありがとうございますと伝えてくれた。デスクも含めて本当にいい人たちが多かったと思う。部署にもよるけれど出勤時間が14時とか17時とかで終業時間もそれに伴って23時とかで夜遅いので残業とかあまりないかったと思う。むしろその日の仕事が終わってはやく切り上げるとかよくあった。ご飯を食べるために席を外すことが難しいときもあったのでパンやあらかじめ用意してきた簡単な弁当などを食べながら仕事していることもあった。まあ単純に食堂のご飯に飽きたっていうのもあるんだけど。自転車で通勤している人が多かったように思う。終電がない時間になるとタクシーで帰れるのが良かった。会社の中に眠れる場所もシャワーもあったし食堂や売店はもちろんのこと資料室もあったので会社の中で暮らせるなとかよく考えていた。会社に泊まるなんてよっぽどのことだけど。台風とか災害があるときこそ必要とされるものなのでそういったときには大変だった。記者もこんな中取材に行って記事を書かなくてはいけないのかと思うと本当に大変だなあと思っていた。

校閲で特に間違えたくないのは電話番号や住所、名前だなとよく思う。見出しと中身が一致していないのもダメですね。誤字や誤用もなるべく出したくない。NIE(教育に新聞を)とかやっているし…。言語は移り変わるものなので誤用なんてないということもあり、新しい使い方や新しくよく使われるようになった単語の使用などに柔軟に対応していこうという動きはあるが、検討会やらなんやらで遅れて追いつくことは多々あった。何にせよ現段階で定められている意味を使いたい。私は日本語に詳しくないのでいろんな人にとてもお世話になった。「丹精込めた」はダメで「丹精した」とするとかね。基本的にはいろんな年代の人にわかりやすく、というのは言わずもがなだけど、3桁の数字は横並びに書くと読みづらいからなるべくしないとか、カタカナや英語の略称やらを使いすぎないようにしようだとかいろいろあった。読者は年々高齢化しているので仕方がないと思う。紙面の体裁を整えるのも仕事の一つで、例えばある箇所については字体をゴシックで統一するとか電話番号の書き方はこうだとか。当たり前なんだけど見落としがちなことってたくさんあって、そこを防ぐ最後の砦のようなものが校閲なんだと思う。

新聞社ならではなのかはわからないけれど、独特の用語がそこそこあって最初は本当に訳がわからなかったのも思い出だな。わかるようになるまで時間が掛かった。キャラメルとか預かりとかyフローとかいろいろ。

校閲の仕事は好きだったし楽しかったと思う。いろんなことを知ることができたし、もう一度勉強し直さなきゃなと思うこともたくさんあった。ジッと座って黙々と作業することが私には割と向いているんだなとかどうしてもやる気が出ない日でも最低限はこなせるようにする方法とかがわかったし。また縁があればやりたい。