どこにも行けない

結局どこにも行けない

眠ることしかできない

つらくてどうしようもなくなったとき、もう何もできないとなったときには、とにかくしゃがんでほしいと言っている。そう言ったんだけど、しゃがむのって難しいね。でもしゃがめなかった私はまだ大丈夫だ、きっと。

 

細々とした悲しいこと、つらいことが積み重なって話すこともできないとき、無性に悲しい状態になる。わんわん泣きたいけれどそうもいかず、かといってうまくストレスを吐き出すこともできずにいる。吐き気がする喉を締めて、泣きそうなのを堪えて、駅ビルのトイレに駆け込んだ。そういえば小学生の頃、学校のトイレに似たような理由でこもってやり過ごしたことがある。

それでも体だけはいつだって健康だ。

 

1年と数ヵ月ぶりに訪れた火葬場は変わらず、穏やかな雰囲気でそこにあった。近くの新しいショッピングモールとの差にくらくらする。

これでもかと言うほど花をしきつめたはずなのに、花があまってしまった。それだけ用意したんだろう。もらってきた花は満開だったこともあり早くに萎れてしまった。花が萎れていく姿もまた悲しい。捨てられずにいる。

 

毎日は変わらず進んでいく。生きる日数はどんどん減っている。いつ終わりが来るかはわからないけれど。

 

話を戻して、悲しさを感じたとき、私は何がそんなに悲しいんだと自分にいつも聞く。何がそんなにつらいのか、何が認められないのか、どうしたいのか。満たされているはずなのに、ないものねだりをしているだけなんじゃないか。確かに今の私はほしいものを手にしてひとまずの将来への安心は手に入れている。家もあるし家族も元気だ、問題は抱えてはいるけれど。それでも悲しいのは自分にとって納得できるものを得ることができていないからだと思う。期待に応えることができないことがとても悲しい。期待に応えることができないのなら私なんて必要ないのではないかと思う。いつまでたっても自己肯定ができないのは問題だ。

 

ストレス発散方法のようなものが眠ることしかない。本当に帰宅即就寝といった感じだ。とにかく眠る。