どこにも行けない

結局どこにも行けない

5/28

昼休憩の時に、お昼ご飯を買いに外に出た。パンをいくつか買って、社内に戻る途中、自動販売機にて梅ソーダジュースを発見。やった!と思ってそれを買って、片手にパンの入った袋、片手に缶の梅ソーダを持って戻ったところ、すれ違った他の部署の方に缶をすごい見られた。挨拶はしたけれど、イヤホンで音楽を聴いていたので返事があったかは聞こえなかった。どうしてあんなに見られたんだろう、もしかしてあれがお酒に見えたのかな、と思った瞬間から気分が急降下していった。

Twitterにも書いたことなんだけれど、お酒を昼休憩に買って帰ってきそうだと思われているかもしれないのがとても嫌だった。思い返すと、お酒たくさん飲めそうだとか言われ、実際はほとんど飲めないし、お酒もそこそこ好きだけど、できればジュースのがいいのではと最近は思っているので、その妙なギャップらしきものが嫌だった。周りが抱いている自分のイメージは実際の自分とは異なることが多くて、それはそれとすることができず、どことなく無理に笑って過ごしては、後でひどく落ち込むというのを繰り返しているような気がする。

もう何年も前に、電話していた男性から「一人でラーメン屋行けそう系女子いいね」って言われたこと、「スタバ行こっていうより牛丼食べに行こっていうほうがいい女だよね」って言われたこと、付き合っていた人に別れ際「思っていたよりも暗かった」と言われたことなどを思い出した。いつだって相手に適合させないといけないのだろうか。自分のままでいることはいけないのか。選ばれるために何かしなきゃいけないのか。選ぶ・選ばれるってそもそも何なのか。男性にとって都合のいい女性を演じることが求められていて、それをやらないのはおかしいとされてしまうのが本当に嫌だ。みんながみんなそうじゃない、ってわかっているけれど、どこかで望んでもいなければ現実とも異なる理想的な女性像を自分で演じなければならないのが苦しい。相手のことも嫌いになるし、自分のことだって嫌いになる。

先日、友達に、「いじめられたこととかないでしょ」と言われ、ああもう私はいじめられていた人間には見えないんだな、と思った。そこには上手に隠せるようになったのか、その友達から見た私はやはり明るく社交的に見えて、そこにも現実の自分とのギャップがあるんだと感じた。どこまでいっても、根暗な、一人でいるときの自分のことなんて誰にも受け入れてもらうことなんでないんだという気持ちになる。受け入れてもらいたいのかも定かではない。そこで悩むくらいなら、最初から手を伸ばさない。