どこにも行けない

結局どこにも行けない

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本当に久しぶりにまともに生活している。夜には眠って朝には起きる。日中は活動する。すごい。腰と足と肩と首がだるくて仕方がない。帰宅して夕飯を食べてからは机に向かっている。すごい。めちゃ偉い。やばい。立派。朝は白湯を飲んで簡単に味噌汁を作って朝食をとっている。すごい。部屋はきれいなままをキープしている。それどころかどんどん物を捨てて掃除を進めている。やばい。偉すぎてやばい。寝る前には筋トレと小顔マッサージとストレッチをしている。お風呂上がりには全身に保湿クリームを塗っているし定期的にスクラブやヘアパックなどをしている。うわすごい。自分を可愛がってる。すごい。これでちゃんと痩せることができたら自信がつきそう。がんばってほしい。

 

はー疲れた。何でもいいけど早く帰っていい感じの音楽きいてぐっすり寝たい。

わからない

得体の知れない何かに怯えてメソメソと泣く。自分は割と人間としてやれているほうだとは思うけれど欠如しているものが多い。あと少し踏ん張るべきところで踏ん張れない。協調性を求められると胃がキリキリして逃げたくなる。弱く軟く生きてきたくせに偉そうなことばかり言ってしまう。何にもできないくせにね。

いつもいつもこんな暗いことばかり考えているわけではないはずだけれど、人といるとダメになる。取り繕うのがうまくなってきたのは間違いないけれど、いつか自分が普通の人間ような反応ができていないことが露呈してしまうんじゃないかと思っている。湯船に浸かるとき、私はいつだってその日の会話を思い返してうまくやることができていたか、あのタイミングでこう言うべきだったのではないかと考える。相手が求める言葉をいつだって投げかけたいのになかなかうまくいかない。

なぜみんなそんなに人とわかりあいたいと望むんだろう。人は人とわかりあいたいものだという前提条件がわからない。それが常識だとしたら恐ろしいことだと思う。わかりあうことなんて根本的には無理ではないかというのは割といろんな人が言っていることだからそうなんだと思う。わかりあいたいと望む人がいるのもわかる。けれどそれが一般的な共通認識としてあるのだとすれば不思議だ。自分をわかってもらうことにどんなメリットがあるんだろう。私はそのとき何を考えて何を思って行動していて普段は何をしていて好きなものは何でどこに住んでいてなんて知られたくない。どこに行っていたとかどこに行くかなんて知られたくない。わざわざ説明したくもない。自分から言うことはあっても聞かれたくはない。好きな人のことをわかりたいという気持ちはわかる。でも全てをわかったようになるほうが面白くないと思うし、人間なんて刻一刻と変化するものだと思うからそこに意味なんてないんだと思う。好きな人にはいつだってその人の興味のある世界で生きていてほしい。新しいことを見て感じていろいろ考えて考えてその断片でも教えてくれたら嬉しい。表面的な理解。私は人のことを知ってもあまり引かない自信だけはあるけれど、それと同じくらい人に全てを見せたら引かれる自信がある。だからわざわざそんなことしないよ。わかってほしいって気持ちがほとんどの場合は湧いてこない。そうなんだ、そういうこともあるよね、って感じでいい。"わかる"より"そういうこともある"って感じの肯定を求めてる。

人にわかってもらおうとするとき一番の問題は全てを説明しなくてはいけないことだと思う。自分の人生から考えていたこと読んだ本聴いた曲まで説明しないとそこに至ったわけがわからない。一から説明しないといけないということは最近気がついた。そうしないと大抵の場合は変なことを言うやばい奴みたいな扱われ方をする。それじゃ困るんです、私は。だって私はものすごく普通だから。そこでやばい奴扱いされても何も創造できない。そう思われることにデメリットしかない。それを説明するのも嫌だしパーソナルなことすぎて踏み込まれたくない。人に自分をわかってもらうことに吐き気がする。なぜここまで嫌なのかがうまくつながらなくてわからない。いつだってどこだって浮いているように感じる原因は案外こういうことにあるのかもしれないな。思考がまとまらない。頭が悪いからかな。何晩も何晩もけとばしていきたい。人と関わるのは恐い。

岐阜市の話をさせてくれ

あけましておめでとうございます。2017年はいかがでしたか。私はいろいろありました。2018年も生きましょう。

 

そんなことはどうでもよくて、岐阜市のことを話そう。

先日長良川温泉に宿泊した。長良川温泉岐阜市にある。名古屋駅からJR東海道本線岐阜駅までは約20分。片道470円。岐阜駅までは名鉄名古屋本線JR東海道本線があるんだけど、揺れが少ない、新幹線からの乗り換えがしやすいなどの点でJRがいいと思う。JR岐阜駅にあるバスターミナルの13番から岐阜バスに乗り約20分の「長良橋」で降りる。片道210円。岐阜バスSuicaなどの交通系ICカードが使えません、現金で…。唯一使えるカードは岐阜バスでしか使えないayucaというカードです。可愛いよ。宿泊するところや周辺観光などは長良川温泉のサイトから。

 

長良川温泉川端康成ゆかりの地とのこと。f:id:Sanjo_14:20180105204808j:image南方の火を旅館でちょろりと読んだ。川端康成が宿泊したところは川端康成ゆかりの宿だ!と宣伝しているけれど、食事がまずいと書かれていた。こういうのってよくあるよね。川端康成は初恋の相手に会いに岐阜にきていたとのこと。彼にとって岐阜はどういうところだったんだろう。川端康成初恋小説集を読もう。

 

長良川温泉は鉄分を多く含んだ茶褐色の湯。婦人病によいとされているとのこと。

 

個人的にここ行ったら楽しいだろうなあというというところを長良川温泉から出発していくつか挙げます。

10:00にチェックアウトするとしよう。そこから長良川デパート湊町店へ。近くには鮎菓子で有名な玉井屋本舗もあります。そこらでちょちょいとお土産を買うのも楽しい。ついでに十八楼前の手湯に浸かってみたりして。河原町のあたりは風情があって素敵なところです。長良川沿いを歩くのも河原町を散策するのも楽しい。

 

そこから徒歩で岐阜公園のあたりに行く。岐阜城金華山(標高329m)の山上にある。ロープウェーで行くといいと思う。ハイキングもできるみたいです。なかなかきつそう。ロープウェーを降りてすぐに金華山リス村というものがあります。いいよね。岐阜公園のあたりには岐阜城をはじめ岐阜市歴史博物館などがある。個人的におすすめなのは名和昆虫博物館!あれは楽しめます。モルフォチョウの展示や世界の珍しい昆虫が展示されていて飽きない。

f:id:Sanjo_14:20180106201400j:image珍しい昆虫がいっぱい。

 

ここらで休憩。コーヒーを飲むならぜひYAJIMA COFFEEへ!ここのコーヒーとってもおいしいです。後味がよかった。感動しました。ケーキもおいしいです。このときは紅茶のチーズケーキを食べました。なぜコーヒーに紅茶のケーキにしたのか食べながら疑問に思った。おいしかった…。f:id:Sanjo_14:20180106015424j:image

 

ここからバスに乗るかレンタサイクルをかりるか迷うところ。暖かい季節ならぜひレンタサイクルを!岐阜公園で借りて岐阜駅で返すことができます。1日100円。安い!バスに乗るなら岐阜公園歴史博物館前というバス停からが便利です。JR岐阜駅方面へ。

 

岐阜駅へ向かう途中にはみんなの森 ぎふメディアコスモスというところがあります。伊東豊雄氏設計。図書館とか交流センターとかがある複合施設です。こういう図書館が近くにあったら通うだろうなあと行くたびに思う。スタバもあるし。閉鎖的でなく楽しめる。小さな子どもにもその子どもの親にも学生にも大人にもみんなにとって優しい図書館。

 

メディアコスモスから岐阜駅に向かう途中、新しい店を発見しました。その日は休みであいてなかった。本屋がブックカフェとして生まれ変わったとのこと。喫茶ヨジハン文庫。行ってみたいですね。

 

進んでいくとやっと柳ケ瀬商店街につきます。長良川温泉からここまで歩くと結構かかる!

 

柳ケ瀬商店街は行くといいと思う。ここならランチができる場所はたくさんある。もしくは玉宮町に行くかかな。玉宮町柳ケ瀬商店街からすぐです。ミツバチ食堂とか。柳ケ瀬商店街はまちづくりが進行していて、昔からある店と新しい店、昔からある店をリニューアルした店など行くたびに違う表情をみせてくれます。このあたりに住んでいたときはよくフラフラ歩いてた。CINEX&ロイヤル劇場で映画をみたり。ロイヤル劇場では名作映画を500円でみれるんだって。みたことなかったな。しまった。割といつもガラガラで心配になる。いいところです。柳ケ瀬商店街には古着屋もある。よくloopという店の店員さんがスケボーしてる。楽しそう。

 

柳ケ瀬商店街のすぐそば美殿町商店街いうところがある。美殿町もまたいい。よく行っていたのは古書と古本 徒然社と美殿屋漬物店!

徒然社であれやこれやと本を品定めしているのとっても楽しかった。本棚の上から下まで見て店内を物色してまた同じところを見て悩んで…。雑多に積んであるというよりジャンルに分けられて丁寧に並べてあります。絵本とかに力を入れているイメージ。f:id:Sanjo_14:20180110030037j:imageこのときは100円セールをやっていました。

美殿屋漬物店の漬物大好き。よく買ってた。漬物とご飯とお味噌汁があれば割とどうにかなるし住んでいたところから近かったこともあったから。22時まで営業しているのもありがたい…。この周りには飲み屋さんとかもあります。おでん屋さんがあって、いつもいい匂いがしてたな。近くにあったうどん屋さんも朝からいい匂いがしていた。うどん屋さんは店主が高齢で去年やめちゃったみたい。悲しいね。

ここから少し歩いたところにコーヒースタンドとかもできたんだって。すごい。私は大通りに面したフルーツ松栄堂のフルーツジュースが好きで夏はよく飲んでいた。めっちゃ安いんですよ。200円とか。そしてすごくおいしい。帰り道とか駅に向かう途中とかでフルーツジュースを売っているときはつい買って塾に通う高校生を横目に飲みながら歩いてた。

 

ここまできたらあとはもう岐阜駅です。岐阜駅でお土産を買って帰ろう。JR岐阜駅のアクティブG内にあるTHE GIFTS SHOPがおすすめです。岐阜県のお土産物がたくさん売っています。それこそ家具まで。食品やお酒だけでなく陶器や和紙のアクセサリーなども売っています。素敵なものがたくさんあって嬉しくなる。自分用についつい買っちゃう。このときは大垣の大橋量器という会社の作る枡を買いました。カラフルな枡で可愛い。

 

これにて岐阜市めぐりは終了。また岐阜に行きたくなった。飛騨高山もとても素敵なところですが岐阜市もまた素敵なところです。中津川市とかもね。

岐阜市って本当にちょうどいい街だなと思う。適度にいい感じのお店やスポットがある。かといって雑多とした息苦しさもない。川も山もある。こういうちょうどいい街で暮らしたい。

ダッフルコートの行方

記憶にある中で一番古い洋服が真っ赤なダッフルコートだ。

冬になると着ていた真っ赤なダッフルコート。初めはぶかぶかだったのについに小さくなってしまって泣く泣く手放した。思えば幼い頃はかわいい服が大好きで、ピンクやフリフリの服ばかりだった。黒やグレーの服を着たくなくて箪笥の前で泣いて嫌がって母を困らせた記憶がある。今と正反対。小学校4年生のときにぶりっ子だと陰口を言われるまでは毎日スカートだったな。

その真っ赤なダッフルコートで水族館にも遊園地にも行った。いつだってその鮮やかな赤は気持ちを明るくしてくれた。もう着れないとわかったときは悲しかった。それからあのときの真っ赤なダッフルコートのようなものをなんとはなしに探してしまうくらい気に入っていた。

そうして幼い頃に別れたダッフルコートと再会を果たしたのは中学生のとき。中学校に入り、制服の上に着るコートとして選んだのはダッフルコートだった。規則で紺色の無難なダッフルコートになった記憶がある。とにかく重くて、しかもサイズも大きくて全く好きになれなかった。今思うとあれはあれで良かったんだけど、そのときの流行りはすっきりとした感じのコートだったからとにかく嫌だった。中学卒業と同時にそのダッフルコートは近所の誰かにあげた。

そうしている間にピーコートやらチェスターコートやらいろいろと着る日々。でも一昨年の冬に突然思ったんです。何年も着続けられるのはダッフルコートなんじゃないかって(多分そんなことはないんだろうけど)。そうして始まったダッフルコート探し。色からはじまって、とりあえず3年は着られそうかどうかとか・・・。いやいや、そもそもダッフルコートって何?ってなり、ダッフルコートについて調べる日々。どうでもいいんですけど、WikipediaのダッフルコートのページFranz Ferdinandのボーカルのアレックスの写真が使われていてウケます。結論としてはある程度ダッフルコートとしてのポイントは押さえつつ着やすいものになった。Gloverallとか欲しいなと思ったけど私にはまだ早い。実際にお店に足を運んで手触りや成分、着心地や着た時のシルエットとかいろいろ見比べていくうちに自分にとって大事なポイントが判明した。それは文庫本が入るサイズのポケットがついているかどうか。これすごく大事。学生のとき気になる人は冬になると茶色のダッフルコートのポケットから文庫本をひょいと取り出して読んでいたから。あれを真似したかった。それと単純に文庫本すぐ取り出せると時間を潰すのにいいからね。いくつかの候補の中からこれだと決めて年が明けてすぐに買いにいった。赤色ではなく紺色のダッフルコート。ダッフルコートと言えば赤でしょ!とどこかの雑誌に書いてあって、あまのじゃくが働いた結果だ。そして今の自分にとっては赤より紺だった。赤を着るには微妙な年齢すぎる。もう少し年を重ねてから着る赤のほうが魅力的だと思う。ちょうど30くらいになってからかな。買ったダッフルコートは紺色でポケットは文庫本が入るサイズ。ダッフルコートにしてはタイトな感じ。丈感はこのごろの私には珍しい膝よりちょい上丈。しっかりあたたかいので満足。今はこの紺色のタイトなダッフルコートに落ち着いたものの、今後買い直すときにどうなるかはわからない。そのときの自分にとってベストなダッフルコートを見つけていけたらいいね。

11/10

 

11月になった。いろいろと出さなければならないものが多い。年末に向けての準備もあったりなかったりする。1年ぶりくらいに毎朝To Doリストを書いている。それやらないとわけがわからなくなって何をすればいいの?えっこれの期限いつだっけ?きょうの夜までに提出?とか普通にやってしまうので・・・。スケジューリング能力も何かをやり遂げる能力も低いから自分で自分にまじですか?って突っ込んでいる。まじなんだよ、私自身が使い物にならないことって。助けてほしい!こういうときに人との対話が必要だったと気づく。人に助けてもらわないと何にもできないけど助けてもらうことも苦手だからつくづく自分が嫌だなと思う。でもこういうときに助けてくれる優しい人もまれにいるので助けを求めていこうと思います。おそらく忙しいであろう時に申し訳ないな。最近はそうやっていっぱいいっぱいになってイライラするとお菓子を作ってる。お菓子作りはイライラしたときにやると落ち着くし美味しいし次はこうしようとか考えられるから好き。ゼラチンは白ワインでふやかすとゼラチン独特の香りもなくなるし水より早くふやけるそうです。そんな毎日を過ごしてます。

すごく好きなアーティスト(?)の人が自分がゲイだとカミングアウトしたことについて書いているブログを読んでいた。とても魅力的で面白い人で大好き。最後に書いてある文章に感激した。誰かにとって重たい気分になりませんようにってすごいよね。私はそこまで考えがいかないのでこの人の豊かさや穏やかさに憧れる。

そういえば最近は久しぶりにtumblerを使っている。Twitterで投稿するより長文かつ見ている人が本当にいないので私的なことをバンバン投稿している。見ている人がいたらどうしよう。見返すと自分の文章があまりにも面白くないことや暗いことや役立たず感や見せかけばかりがうまいことにうんざりする。少しでも文章がうまくなっていくといいなと思う。比喩表現とか使ってみたい。できないので。tumblerには写真を何枚も投稿できるので写真とコメントとかもつけてる。Twitterでもできるけど誰かを傷つけてしまうかもしれないけど言いたいことを言っているのがtumblerかもしれない。でもいろんなSNSやっていると何が何だかわからなくなるよね。これはあそこでここにはあれで、って結局何のためにTwitterでネット用のアカウントを作ったのかよくわからない。でも人を傷つけるようなことってしたくないし、そういうことをした後は落ち込むし自己嫌悪に苛まれるからTwitterでは言えないこともあるよなって最近はよく思う。たいしてフォロイーもフォロワーもいないんだけど。Twitterで味わう甘美かつインスタントな特別感の錯覚に惑わされて変に価値観のようなものを生み出したくない。小娘は小娘らしくすべきだと自分に言い聞かせている。

好きなバンドのセカンドアルバムを買った。きけばきくほどよくなってくるから飽きない。素晴らしい歌詞を書く人たちってどこからその歌詞がやってくるんだろう。具体的な情景があったり数年前の出来事について思いを巡らせた結果だとか。歌詞カードを読み込んでしまうことってあるよね。音楽ってやっぱり好きだな。2017年はあまりCDを買わなかったような気がする。ライブも例年より行ってないと思う。あーでも初めてフジロックに行った。音楽って最高だなって思った。音楽自体は好きだ。うーん、好きな音楽だけだろうけど。真摯に向き合っていないものも好きかと問われれば微妙なので。音楽なんて!と思うのは大抵は他人と関わる中で生まれるものであって、音楽自体は何にも悪くないんじゃかな。好きなものがたくさん増えると嫌いなものも増えるって悲しいね。自分の中で大事にしたくてたまらない音楽は現実の知り合いには絶対教えたくない。ネットの人にはそうでもないんだけど。だからここではそのバンドのPVはっておきます。

本を読んでちょっと寝たら朝だ。起きたら連絡しなきゃ。

 

10/27

後輩の大学生に「メンヘラじゃないっすかw」と言われてはぁ?となった。そもそも他人にメンヘラだと言うのは失礼だと思ったけれどその場は笑ってやり過ごした。前より大人になったなと思うけれど思い出すたびに不快だしこうして文字に起こしているからダメなようにも思う。大学生感覚で人を不快にさせることを平気で言うのはいつかなくなるものだと信じているけれど、それが人を不快にさせるかもしれないということに気付かない限りは無理なのかもしれない。嫌いな人間のが圧倒的に多いから余計に不快だと思ってしまうのかもしれない。やはり大抵の人間はむかつくし嫌いだ、自分より優れているのは確かなんだけど。人をからかうようなことばかり言う人も苦手だしベクトルがマイナスの意味で他人にばかり向いている人が苦手なのかもしれない。まあこれは当たり前か。

最近は本当にとことん人のやることなすことが気に食わないことが多くて自分で自分に辟易する。馬鹿らしいからやめたい。こうやってブログを書くときって大抵異常にイライラして仕方がないときで、普通の気分のときはブログなんて開かない。やることがあるのになかなか終わらないこと、自分のことで精いっぱいなのに他人の行動を気にすること。とにかく私は自分のことでいっぱいいっぱいだ、愚かなことに。

精一杯大人ぶった女の子、結局年齢に合ったものの考え方しかできていない。強がっていることでかっこよく見せたいんだろうな。最近の彼女は全てが痛々しい。

ピアスの穴を耳にあけていない理由について、いつか大河ドラマに抜擢されたら困るからって言ってたけど、本当は年頃になると女の子がそろいもそろってピアスの穴をあけることに対して嫌悪感があったから。今までのしがらみから解放されたと言わんばかりにピアスをあけて髪を染めてそれが個性だってね。それも結局同じようになってしまうのが不思議だった。でもそこからみんなそれぞれ違った服装になっていくもので、高校を卒業して20歳になるころになるとよくわかる。ピアスをあけないことについて、その他の痛そうだとか耳たぶが分厚いからすぐ閉じそうだとかいう理由は後付けだった。いっそのこと早々とピアスの穴をあけておけばよかったな、中学生のときとか。どうせ大して友だちもいなかったから問題にもならなかっただろうな。最近は軟骨とかに開けたいと思ったけど今後のことを考えるとやめておいたほうが得策だと思った。ピアスとはもう縁がないかもしれない。

この間みていた映画ではみんな帽子を被っていた。夏にはキャップをよく被っていたけれどそれ以外の季節では帽子を被らない。その映画をみて今年は被るのもいいなと思った。ベレー帽を買おう。

冬服へ

衣替えをするたびに、自分の手持ちの服が全てかわいくてお気に入りばかりで嬉しくなる。そのシーズン着ないこともあるけれど、お気に入りだから捨てることはせず一旦眠らせておくことはよくある。するとあるときふと着たくなったりする。

冬服は当たり前だけどニットがたくさんある。白が3枚と茶色と黒と赤とベージュとグレーの間みたいな色のものがそれぞれ1枚ずつ。タートルネックが多い。今シーズンこそ、モコモコの白のフィッシャーマンニットか白のフレッドペリーのチルデンニット、くすみピンクのモックネックニットのどれかがほしい。ついでにシンプルな黒のタートルネックで洗えるウールのニットもほしい。現時点では、だけど。

気に入ってよく履いていた無印良品のメンズのデニムがもう膝が出てきてしまってダメになってきたので、ワイドではなくストレートの濃い色のデニムがほしい。できればハイウエストで…。あとは薄色のリーバイス505がほしいな。これはできれば古着でいい感じのやつがほしい。キャメルのコーデュロイパンツもほしい!ゆったりめで温かそうなやつ。黒のコーデュロイパンツは持っているけれど、黒よりキャメルとか白とかのが今はほしいな。車に轢かれにくそうだし。軍チノもほしいけど、なかなか合うサイズがなくて難しい。合うものを見つけたらそれはきっと運命、のはず。今年は軍モノを適度に取り入れていきたいな。

きっとここに挙げたもののうちひとつかふたつくらいしか買わないと思う。単純にほしいものも変わってくるだろうし、今後着るかとか必要かとか理想のものに巡りあえなかったとかいろいろありそう。長ーい目で見てほしいね。

着たいな、って思う服のパターンが珍しくいくつか出てきている。はやく試したい!