どこにも行けない

結局どこにも行けない

東京

東京に住みたい。よく言うキラキラしていてオシャレで〜みたいな感じではない、多分。私の中での東京のイメージってサカナクションユリイカだと思う。

サカナクション - ユリイカ (MUSIC VIDEO) - YouTube

どことなく冷たくて何かに追われているような感じ。

 

自分が何者でもなくなっていく感覚。この感覚が個人的には大好きだ。自分が何者かであると思い続けることのほうがよっぽど苦しいし、何者かであらなければならないだとか、何者でもないのになぜそう思うのかとかいろいろ考えなくていいだろう。まあきっとそれはある側面においてのないものねだりなんだと思うんだけど。現に私は何者でもない。

東京に住むということはキラキラしていてオシャレな生活を営めるわけではなく、多すぎる人間とそこにいる自分、誰にも興味を待つことなく持たれることなくタンパク質でできた人形のように扱われる。他者との境目がなくなっていくような感覚。どこにもキラキラしたものはなくただありふれた生活がそこにはある。

 

もしかしたら私は他者と境目がなくなっていくような感覚がほしいのかもしれない。自分が馴染んでいると感じたいのかもしれない。今まで悪い意味で浮いていたように思うから。

そこにあるただただ特に変わったことのない生活。でもその東京での生活には便利さがあり、ネオンがあり、住宅街があり、他の都市では味わうことのできないものがある、おそらく。いつかは東京に住みたい。そう思いながらまた1年を生きる。

3/21-よく胸が苦しくなる

自分が感じていたよりストレスが溜まっていたらしく、水曜は全く動けなかった。午前中の予定をキャンセルする。天候もなかなか荒れていたので動けないことも仕方がないような気がした。

レイトショーに行く約束をしていたので、夕方ごろにはごそごそと起き出してワンピースに着替え化粧を施して家を出る。この頃は財布と携帯とハンカチくらいしか入らないような小さな鞄で出掛けるのが個人的に気に入っている。冬はコートにウォークマンやハンドクリーム、文庫本と定期券を入れておけるのでこういうことができる。夏場は大きなポケットがないので、鞄に入れるしかなくなる。ポケットがいまだに大好きなのでポケットがないと不便だと思う。

少し遅れて待ち合わせ場所に到着する。先にチケットを購入し映画がはじまるまでお茶をする。どのフェスが良さそうだとかあのバンドの新譜が出るだとか異動先がどうだとかどこそこのハンバーガーが美味しいだとかとりとめのない話をする。イソップのトラベルセットをもらう。嬉しい、とても。袋からいい匂いがする。今後泊まることが増えるだろうからこれを使ってねって。すてき。心の支えになる。

バーフバリをみる。単純に面白かった。ひたすら主人公が無双する。バーフバリについてはあらゆるところで言われている通り、わけがわからないし叫びたくなる。これは本当に。みたあとなぜか顔が生き生きしてくる。何も考えず、みるのが良さそう。

シガーバーでオムカレーを食べる。ガラムマサラなどのスパイスをみるだけでバーフバリを思い出しニヤける。フルーツワインが美味しかった。久しぶりにその人と楽しく過ごせたように思える。自分が笑顔で対応することが必要であること、話を聞くことが大切だと改めて気づかされた。これが常にできるようになれればいいんだけれど。

楽しかったけれど誰とも会わずに1人で過ごす時間がないと本当につらくて、胸のあたりが苦しくなる。文字通り息を吸って吐いているだけの1日を過ごすことはやめよう、せめて何かをしようと思い人と会うことを選んだけれど、どうもダメらしい。1人で出かけるようにしようかな。胸のあたりが苦しくなるのはおそらく自律神経のバランスが乱れているからだと思う。もともと低血圧だったりストレスに弱い上に生活リズムが乱れているのでそうなるのもわかる。吐いてしまうようになったら病院に行こうと思う。

3/15-いつもより明るい

暖かい日が続く。外に出ると家の中より暖かくて毎日玄関を出た瞬間に笑ってしまう。日差しが眩しいのが少し辛い。夏になったら堂々とサングラスをかけられるけれど、今の時期はかけづらい。顔をしかめながら歩いている。私は幼い頃から眉間に縦ジワではなく横ジワができる。父もそう。縦ジワは意識してできるように習得した。縦ジワを作ろうとすると眉毛の上にくぼみができるので鏡を見るたび笑えてくる。

 

帰り道、手をつないで歩く2人に目をとられる。私には誰かと手をつないで帰る場所はない。1人でぼんやり帰る。誰かと手をつないで同じ場所へと帰るということが今後の人生で訪れるのだろうか。イメージできない。最近は同棲だったり結婚についてのことばかり書いていて我ながら飽きてきた。もっと他にないのかと思う。

 

ストッキングを脱いだ足はひどく乾燥していてちゃんとクリームを塗らなくちゃなぁと思う。数ヶ月ほど体重計にのっていない。体重いくつかな。そろそろ毎日計測したい。あとランニングとかはじめたい。最近は体を動かそうかという気持ちがでてきた。何年も前に毎日モヤモヤしているときに走ったら解消したことがあったのを思い出した。気軽に走ろう、まずランニングシューズを買うところから!

 

足裏を改めて眺めてみる。サイズ的には23〜23.5㎝なのだけれど、それ以上の大きさに見える。やたらと中心が痛むので触る。固い。とりあえずゴリゴリやってみる。そういえば、私の背中の真ん中あたりもとても固い。内臓が良くないのかもしれない。健康的な生活、送りたいなぁ。

3/14-落ち込まずにすむには

月曜にいつもよりバタバタしたせいで火曜の午前中は上の空だった。午後からは多少なりともマシにしようとしたけれど、なかなかうまくいかず白昼夢をみているような感じのままの1日だった。

 

人と会った日に後で1人になると落ち込んでしまう。これがもし1人になるようなことがなくなった場合、つまり誰かと暮らすなどした場合には落ち込むことなどなくなるのかなとか電車の中で考えていた。誰かと一緒にいたほうが心地良い、1人の時間がないほうが良いと思える日が私には来るのだろうか。一緒にいて苦痛ではない人が人生でいないわけではない。ずっと一緒にいるということ、同棲みたいなことはしたことがないので苦痛ではないままでいられるかどうかはわからない。1人になる時間がないということが苦痛に感じるかもしれない。1人になるとアホみたいに落ち込むのに。かといって落ち込んでしまうようなことから目を背けることができないし、それをできるのは自分だけで反省するのも今後どうすべきかも考えられるのは自分だけなのでやるしかないと思う。人と過ごすと思考があっちこっちにいってしまうのでこうしたことを考えることはおそらくない。なので1人になる時間が少なく、また1人で過ごしているときにはタスクを消費していく生活はどんな感じなんだろうと思う。突然1人で温泉とか行きそう。

 

会社の社長とかよりも学がある人が好きだ。自分には学がないからかもしれない。私の周りにはそういう人があまりいないし教養がある人もそんなにいないように思う。教養がある人ね、いいですよね…。ある人が言っていたペダンティックエロに思わずやられてしまった。めっちゃいいな…。

 

寝るために帰ってきているような生活なのに部屋が荒れていく。カバンから物を出して入れてを繰り返すうちに床に物を置いたままになってしまう。本とかも。もう何日もコートにブラシをかけていない。分厚いコートも薄いコートも。久しぶりにコートにブラシをかけると細かな何かがでてきて楽しいので割と好きだ。でも帰ってきてハンガーにコートをかけるともう面倒になってしまう。毎日コートにブラシをかけられるよう余裕を持って暮らしたい。

 

まーた起承転結のことを考えずに書いちゃったよ。あーあ。

 

3/7-往生際

何か書きたいと思って開いたものの何も思いつかずただただ真っ白な画面のまま1日過ぎた。書きたいことはおそらくある。それがうまく出てこない。困ったなあ。なので一旦どうってことないただの日記を書こうと思う。

 

2月の後半から現在にかけて、他人からしたら普通くらいの忙しさだろうけれど私にとっては大変な忙しさが続いており、ゆっくり心配事もなく眠ることができない。買ったエナジードリンクは飲むことを忘れられて冷蔵庫で冷やされたままでいる。ついでに言うと買ったことを忘れられたエナジードリンクが日々増えている。ウケる。最近みるライジンとかが何となく好きで買う。毎日文字通り頭を抱えている。頭を抱える暇があったら行動すればいいのにって思う。わかってるんだよ、わかってる。

 

他人が他人に対して好意を持ったときにやる行動をなんとなくわかっていて、そしてそれを知ったときや見たときに軽いショックを受ける。

 

終わったことに対していつまでもいつまでも引きずってどうすべきだったかを考えてしまう。あとないものねだりがひどい。手に入らなかったものやこと、手に入ったと思っていたのに手に入っていなかったものやこと、手に入ったはずなのにいつしかどこかにいってしまったものやこと。仕方がないと割り切れない。往生際が悪いなあと思う。引き際が肝心だ。当たり障りのないことを言って失望させることも引き裂くようなことを言って傷つけることもせずきれいに終わらせてみたい。

 

daokoの「きらきら」という曲をきく。「おとなになったら おとなになったら わたしの価値って同じじゃなくなる? おとなになっても おとなになっても わたしはわたしのうた、うたいたいよ」という歌詞について考える。だをこがdaokoになってDAOKOになった。「打上花火」は大ヒット。岡村ちゃんBECK、米津とのコラボ。彼女はハタチになった。もうすぐ21歳!

 

ストレスがたまるとお菓子作りがしたくなる。クッキー焼きたい。

楽しい夜更かし

なにかと幼い頃から夜更かしばかりしている。夜眠れなくて、父と夜中に放送されるドラマをよくみていた。幼い頃に悪いことをしているときの楽しさのようなものを覚えたので、夜更かしに対して悪い印象はないのである。

 

この歳にもなると夜更かしもなかなか様になってきているような気がする。23時を夜中であると思わなくなってきた。本来ならば23時にはすでに夢の世界にいるべきだとは思うものの、ついつい夜更かしをしてしまう。そして翌朝後悔する。つまり夜更かしを楽しむためには翌朝後悔しないようにする必要がある。翌朝後悔するのは眠ることができない1日が待っているわけで、いくら眠っても大して変わらない1日があれば問題ない、はず。

夜更かしをするぞと決めてからは22時にコーヒーを飲んでもいいし、そこから映画をみはじめてもいい。ちょいちょいと何かをつまんでもいい。プリンを食べていい!何もせずボーッとして過ごすだけの夜更かしは精神的に負荷がかかることを考えてしまいがちなのでなるべくしないでいたい。冬の夜更かしではブランケットと暖かいコーヒーを用意すれば本を一冊読み終えることなど赤子の手をひねるようなもの。そりゃあまあ、難しい本は無理だろうけど。ああなんて素敵な夜更かし、あしたのご飯は何にしようかなんてことも考えられちゃう。あしたは何しようかな、天気が良いのなら散歩にでもいこう。

気づいたらウトウトしていて、やっと床につく。そうして目が覚めたときには昼ごはんなどとっくにすぎた14時だったりする。なんともいただけない。考えていたランチはいずこ、散歩プランは、洗濯物は……………。

そして眠りすぎたツケがまわりその夜には眠らなければいけないのに眠れない。翌朝後悔する。またそんな日々か続いてしまう。それでも夜更かし、やめられないよね。

 

ああ、そうこうしているうちにもうこんな時間だ。眠らなくちゃ。

2/20-記憶

私にとって楽しかった記憶が一緒にいた相手にとっては全てなかったことにされているっぽい。もしかしたら楽しかったのは私だけで相手にとっては苦痛でしかないものなのかもしれない。季節や空気感も全てひっくるめてとてもいい思い出だけど、相手に苦痛だったのならとても申し訳ないし、なかったことにされるのはとても悲しい。

 

何かをやるときに直前まで何とかして回避できないものか、何とかしてここから逃げ出せないかを考えてしまう。もう腹をくくれば平気なんだろうけど、腹をくくるまでが長い。そして苦痛。開き直って楽しんだほうがいいんだろうなということはわかる。できればそうしたい。しかしそこまでいくのはなかなか厳しい。

 

この間テレビのインタビューを受けた。何人もインタビューを受けていたのを見たので絶対に使われないだろうなと思っていた。そしたらテレビに自分のインタビューが使われていて、驚いた。驚いた以上にショックだったのがあまりにも自分が丸々としていることだった。ダイエットを決意する瞬間に違いないというほどのショック。小さく悲鳴をあげてしまった。いやー、本当に、よくない。

 

いつものことながらスケジュール管理がうまくできない。余裕をみてスケジュールを組むということができない。しゃくしゃく余裕で暮らしたいのになぁ。

 

月に一度くらいはデートというものがしたいような気がする。というか人と遊びたいだけなのかもしれない。ツイッターのリア垢なるものを消してからのほうが友だちと関わることが増えたように思う。どうでもいい知り合いとは本当にスッパリと切れてしまったことで、どうでもいい情報がはいってこなくなったし不快になることも減った。自分にとってはとてもいいことだ。個人的に遊びに行く友だちとはちょくちょく連絡を取り合って遊びにいくということが増えたし。インターネット向いてない側なのかもしれないな。

 

いつもなんだけど、何かを書くときに起承転結というものを全く意識しないまま思いつくままババーっと書いてしまっている。本当にメリハリがない。起承転結を意識して書こうと何度かチャレンジしてみるものの、どうしても途中でこんがらがってしまって書けない。トレーニングが必要だと思う、本当に。