どこにも行けない

結局どこにも行けない

5/27 - 試験後

全く試験ができず、ああもう終わりだ…もうダメだ…となった。むちゃくちゃタバコが吸いたくなってタバコを買って吸ってみるけれど久々すぎてうまく吸えなかった。アホらしい。

今までで一番タバコがまずかった。

 

だるい。もうしばらくは何もしたくない。好きなことだけしたい。ゆるく冷房のはいった明るすぎない部屋でぼんやりしたい。

 

最近は眠れているのか眠れていないのか曖昧な感じが続いている。以前のように眠ったなあという満足感がない。そこだけ記憶が抜け落ちているだけなのかと思うくらい。ウケる。

 

書きたい気持ちはあるのに書けないな。ありゃりゃ。犬に会いたい。

5/25 - 枠

友人たちのインスタストーリーには日々同期との楽しげな様子、電車内での写真に添えられた憂鬱そうなもう無理だといった文面、ウチらマジ変人といった内容が並んでいる。同期らしき人たちとカラオケで肩を組んでGReeeeNのキセキを合唱していた。あっ無理、と思った。

青春の違いかもな。

 

狭い単身用の部屋でのカップルのことについて歌ったものなんて使用済みのゴムをペチペチ振り回しているようなもんだよなって時々思う。行為についてやたら語る人を見るとうんざりするのと同じ感じがする。割とうんざりするほど使われてきた題材のはずなのにまだこれほど支持を得られて、時にはいいじゃないかと思えるのは不思議なものだな。湯船に一緒に浸かっただとかどうとかさ。恋愛についての歌は大抵同じ感じがする。恋愛って割と共通認識のもとにあるのかな。そんなはずないと思っているけれど。恋愛はあまりにもあらゆる題材にされすぎていて、そういった題材から知らぬ間に吸収しすぎて、よく言われる恋愛という枠組みだけで判断してしまっているのかもしれない。いや、わからん。

 

説明があるというのはありがたいとも思うが、説明されすぎると鬱陶しいなあとも思う。受け手に委ねてしまえばいいのにねと美術館での説明が多いキャプションを見ながらたまに思う。

そういう意味では国立国際美術館でやっていた「トラベラー展」は説明がなかった。本当になかった。笑えるくらいに。しかし決して見所がないわけでもなく、半分見るのに3時間かかった。ウケる。実を言うと全てを見ることができなかった。後日再訪しようと思っていたができず、そのまま終わってしまった。一応駆け足でサラリと流し見たけれど不十分だ。惜しいことをしましたなぁ。説明がある、しすぎるのは正しく見てほしいだとか全て受け取ってほしいという気持ちがあるのかもしれないな。枠組みを決めてしまうことが絶対悪ではない。

 

眠ることしかできない

つらくてどうしようもなくなったとき、もう何もできないとなったときには、とにかくしゃがんでほしいと言っている。そう言ったんだけど、しゃがむのって難しいね。でもしゃがめなかった私はまだ大丈夫だ、きっと。

 

細々とした悲しいこと、つらいことが積み重なって話すこともできないとき、無性に悲しい状態になる。わんわん泣きたいけれどそうもいかず、かといってうまくストレスを吐き出すこともできずにいる。吐き気がする喉を締めて、泣きそうなのを堪えて、駅ビルのトイレに駆け込んだ。そういえば小学生の頃、学校のトイレに似たような理由でこもってやり過ごしたことがある。

それでも体だけはいつだって健康だ。

 

1年と数ヵ月ぶりに訪れた火葬場は変わらず、穏やかな雰囲気でそこにあった。近くの新しいショッピングモールとの差にくらくらする。

これでもかと言うほど花をしきつめたはずなのに、花があまってしまった。それだけ用意したんだろう。もらってきた花は満開だったこともあり早くに萎れてしまった。花が萎れていく姿もまた悲しい。捨てられずにいる。

 

毎日は変わらず進んでいく。生きる日数はどんどん減っている。いつ終わりが来るかはわからないけれど。

 

話を戻して、悲しさを感じたとき、私は何がそんなに悲しいんだと自分にいつも聞く。何がそんなにつらいのか、何が認められないのか、どうしたいのか。満たされているはずなのに、ないものねだりをしているだけなんじゃないか。確かに今の私はほしいものを手にしてひとまずの将来への安心は手に入れている。家もあるし家族も元気だ、問題は抱えてはいるけれど。それでも悲しいのは自分にとって納得できるものを得ることができていないからだと思う。期待に応えることができないことがとても悲しい。期待に応えることができないのなら私なんて必要ないのではないかと思う。いつまでたっても自己肯定ができないのは問題だ。

 

ストレス発散方法のようなものが眠ることしかない。本当に帰宅即就寝といった感じだ。とにかく眠る。

5/7!

熱に浮かされた頭で書くと面白いんじゃないかと思って書いてみる。

 

せっかく服をクリーニングにだしたのに土砂降りの雨によりぐちゃぐちゃになった。あまりの土砂降りで、かつ全く知らない土地を歩いていたのでだんだんと面白くなってきてニヤニヤしながら歩いた。思えばこうして雨に濡れて冷えたことも風邪の原因かなと思う。コンビニでオレンジジュースと三ツ矢サイダービーフジャーキーを買った。さくら肉の燻製を食べてからなんとなく似たようなものを欲している。手頃にジャーキーなどを買う。エゾシカなどジビエと呼ばれるもののジャーキーが食べたい。帰宅してからベッドの上で掛布団にもたれかかり毛布を被ったへんな状態のまま寝てしまった。

 

いろいろとダメになったら岐阜の恵那眼鏡で職人になろうかと思っていましたが、何とかなりそうです。眼鏡職人の夢は持ち越し。

しかしこれで終わったわけでもなくまだまだまだまだ続いていく。やるぞ〜。

 

大した予定がない休みは本当にもう化粧をしたくない。化粧をしばらくしないと調子がいい。

 

寒気がする。しかし布団の中にずっといると暑くてたまらなくなる。どうしたもんかしら。帰宅してから寝ていたのでそんなに眠くない。新しい体温計は文字が見やすくてはやいのですごい。熱がでるとおでこに手を当てたときおでこの方が冷たく感じる気がする。

 

あしたは眼科に行かなくちゃいけない。あと各種証明書の発行。面倒だなあ。あしたも雨だ。

 

ものすごい分量の物書きができる人はすごいなあと思った。私はやったこともない。

 

海に行きたい気がする。

 

可愛げと才能を持ち合わせている人、ずるいけど好き。

 

あなたが見ている世界を私も見たいし感じたいわー、なんてことを最近はよく思う。どう見えているんだろう。毎回ハッとさせられることがあり、そして完全に理解することができないもどかしさを感じる。もしかしたらわざと曖昧にしているのかもしれない。私もいろいろ曖昧にしてみようかなぁ。今でも曖昧なのかな。よくわかんないな。

 

ネットにはあけすけに書いているようで書いていないという状態ができたらいいなあと思う。

 

だれか白熊アイスとアップルジュースを買ってきてほしい。

2017年夏について

なんとなく自分のインスタグラムを見ていて思ったのは、2017年の夏は夢みたいなことばかりだったなあということ。

 

2017年には念願のフジロックに行くことができた。The xxの素晴らしいステージ後のGorillazのさらに上をいく素晴らしいステージ!あんなにも素晴らしいステージが、素晴らしい夜があるなんて思いもしなかった。どちらも前から2列目あたりにいたお陰で近くでみることができたし、あのデーモン・アルバーンの手を握った!目の前にあったあの顔、自分だけでなく周りの人たちの興奮、そのあと号泣したこと含めて一生忘れないだろうなと思う。本当に素晴らしかった。そしてフジロックは過酷だった。フジロックのあとは風邪をひきました。それ含めいい思い出だ。

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中津川ソーラー武道館にも行った。キャンプしてさ。2日目の朝から体調悪くて1人で会場の芝生で寝てたな。NakamuraEmiをみて号泣して、その姿を知り合いに見られて気まずくなったなぁ。私はa flood of circleが大好きで、彼らのトリのステージをとても楽しみにしていた。ものすごいパワフルで輝いてた。セトリもよかったんだ〜。終わってからダッシュクラムボンみにいったのも覚えてる。中津川ソーラー武道館は毎年似たようなメンバーで行く何となくの恒例になっているけれど、今年はないかもしれない。行くとしてもキャンプではないかもなぁ。

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2017年の夏はなにかと東京に行っていた。東京のことがいくらか好きになり、そして全てが思い出になって二度と繰り返すことのないものになった。

 

旅行もした。どれも死ぬほど暑かったし楽しかった。札幌、岐阜、金沢。どれも今住んでいるところより涼しいはずなのに涼しさを感じなかった。札幌については住んでいるところより気温が高いという猛暑日だった。どれも楽しかったなぁ!温泉行ったりしてさ。

良い展覧会にも行った。岡崎乾二郎の講演会をきいて新しいことをたくさん知ることができた。なんとなく個人的に人生で重要としていることは自分がそれまで全く知らなかったことを知ることなんじゃないかなと思う。もっといろんなところに出掛けてみようと2017年の夏には思った。

好きな服を着てるだけ 悪いことしてないよ

小学校低学年くらいの頃、お気に入りの服を友だちにダサいと言われた。それがきっかけでその服を二度と着ることはなかった。

今までに何度もあった、こういうこと。途中からあまり気にしなくなったけど。

 

本当にダサいかどうかは個人の感性によるので何とも言えないんじゃないかな、と思う。だから面と向かって「ダサい」って私は言えない。それはどうかなーと思っていたとしても。その人にとってその服がお気に入りだったり思い入れのあるものだったとき、すごく傷つくだろうし。

 

少し前に高橋一生さんの私服がダサいと話題になった。ウォレットチェーンが特にありえない、と。うーん。最近はよくウォレットチェーン見かけるしまた出てきてるものだから、むしろファッションに興味がある人の服装だよなあと個人的には思った。そのときには何にも言えなかったから今更言ったところで、という感じなんだけど。菅田将暉さんの服装をダサいと言うのと似ているかも。ウォレットチェーン欲しいな。

万人に受け入れられるファッションもとても大切だと思う。でも好きなファッションをするのもとっても大切だと思う。「好きな服を着てるだけ 悪いことしてないよ」だよ。

 

久しぶりに服がほしくなって、夏にしたい格好とかも浮かんできて調子がいい。今年は渋い巾着袋がほしい。巾着袋と手ぬぐいを持ってサンダルでフラフラ散歩したい。あとつなぎがほしい。羽織り用の長袖シャツも!楽しみだな〜、夏。暑いの嫌いだけど。

4/16〜4/22

4/16

なぜだかずっと無性に悲しくて仕方がなかった。差別的な話を聞いて具合が悪くなった。社会はそうだから仕方ないとかなんとか言われるの大嫌い。夕方から風が冷たかった。ナスは油をよく吸う。それでもナスが好き。またコーラを買った。すぐ断線するストッキングが大量にある。

 

4/17

大阪に行く。昨日の話のせいで精神が昂り眠れなかった。嫌なことがひとつあると尾を引きずるように嫌なことが連なりもうダメなんだという気持ちになる。単なる偶然なのと私がわけわからないタイミングで傷付きすぎなので勝手に関連づけたりしないようにしたい。ひとつのことはひとつのことで十分で増幅させる必要なんてない。うまく自分を宥めてやることはやった。久しぶりに乗り物酔い。

 

4/18

駅のコンビニがいつのまにか改装に入っていた。きょうからなんとなく指輪を増やしてみた。右手親指と中指、左手人差し指と中指と薬指にはめている。ピンキーリングがほしい。行きと帰りしかつけないんだけど。くしゃみの音が苦手、自分のも他人のも。春は本当に苦痛だ。仕方がない。それでも「君のくしゃみが聞きたいよ」だね。音楽プレーヤーの音量が上がってしまう、音漏れには気をつけなくちゃいけない。なんとなく別れた恋人のことを考える。そしてまた失恋する。人生であと何度失恋するんだろう。

 

4/19

眠い。遅延を見越して早めに早めに行動しているのに2時間以上の遅延で全てがパーになることが頻発している。なんなんだ。もう行かなくてもいいよってことなのかな。がんばれなくてもがんばらなくちゃいけない。とりあえずはよく寝ることだ。久しぶりに友だちと会った。楽しい。きょうは友だちの家に泊まる。もんじゃ焼きを食べてお酒飲んだ。彼女のお気に入りスキンケア用品はスキンフードらしい。とてもいい匂いがする。

 

4/20

明け方まで2人でベッドに並んで話してた。馬鹿話から最近あった嫌なこと、嬉しかったこと、将来のこと。たくさん笑ったし考えた。気づいたら寝落ちしていて、朝からドタバタ用意をした。お互い自分で自分を生きづらいようにしている気がするけれど、それでもやっぱり考えることをやめられないし違和感をなかったことにできないので仕方がない。生きる。また楽しく遊べたらいい。お尻の保湿は大事だ。なんとなくわざとらしさを感じる人は近寄りがたい。

 

4/21

精神がぐっちゃぐちゃで、もう明らかにいろいろと無理。何もかも忘れたいのに何もかも忘れられない。何もできなくても時間はすぎるし呼吸はするし生きてるし。やらなきゃいけない。自分がどうなりたいかを思い出させてくれる曲をきく。全体のために個人がないがしろにされて死ぬのなんて馬鹿げてるよな。理想の自分から遠ざかっている。軌道修正しなくちゃ。

 

4/22

部屋がほんのり明るくなってきたころ、なんとなく窓をあけると夏の匂いがした。春夏秋冬問わず明け方が好きだ。どの季節の明け方も時間が異なれば匂いも違う、そしてどれもこれも素晴らしい。やっとぐちゃぐちゃな状態からまともになれた気がしてペディキュアを塗った。きょうはサンダルを履く。フランス人にオヤジギャグを振られてとっさに反応できなかった。まさか英語で「帰る」と「蛙」について言われると思わなかった。ウケる。

 

 

なんとなく1週間分の日記をつけてみた。今のところ普通に面倒だから気が向いたときだけでいいなと思う。