どこかはわからないが、大変心地よくてあたりはぼんやりとしている。薄いピンク色の空の下で自分は地面に座っていて、側にはきれいな水と金魚の入った水槽がある。目の前に誰かいて、とても慣れ親しんだ感じのする人だが誰かはわからない。性別も何もかもわからない。しきりに桃と書いた紙を見せてアピールしてくる。何が言いたいのかさっぱりわからず。説明してくれと言いたいのに話すことができなくて首をかしげるばかり。しかし相手は懸命にアピールを続けている。ふと自分から桃源郷と口から漏れた。その瞬間に何もかもがグレーに変わって、目の前の相手も消える。側にあった水槽の水も何ヶ月もかえられなかったような水に変わり中にいた金魚も死ぬ。そうなって当然だと思って焦りもしない。
7/23〜29
7/23
朝方5時に蝉時雨をききながら床に就く。中学生くらいのときに英語のテストで、どうしても「眠る」とか「寝る」とかが出てこなくて訳の欄に「床に就く」って書いて先生にイジられたの今でも思い出す。ほんの少しだけ眠った。いつも履いているコンバースのスニーカーで靴擦れした。一体何があったんだ。きのうも履いたのに。あしたからはもう踵のない靴しか履きたくない。ビーサンとか。どこにいってもじんわりと暑いままだ。熱が冷めない。
7/24
ネイルをした。足は相変わらずコンクリートなグレー。手はゴールドラメのざっくりとしたグラデーション。シルバーラメのネイルがほしい。ネイルサロンが苦手だ。割と長い時間他人と至近距離でじっとしていなきゃいけない。美容院とかもそうなんだけど、お店の人の人生についてアレコレ聞いてしまう。興味はある、もちろん。でもそれよりも間を持たせなくちゃと思って聞いてしまう。あー。でもそろそろ美容院行きたい。前髪自分で切っちゃったけど。
7/25
完徹。人に見られた気がして、もしやきょうの服装は変なのかと思った。あまりにも眠い。オレオが好きだ。久しぶりに小さい食べきりサイズのオレオを食べた。どうしようもなくねむくて18時すぎに寝る。夕飯食べ損ねた。ツールドフランスが絶対おもしろいという日だったのに見逃してしまい日付変わって26日の2時ごろショックを受ける。ここ数日ツールドフランスを見逃している。レースレポートを読んでいる。見たい。うだうだしているうちにまた寝落ち。
7/26
きのうやっておくべきだったワークアウトをする。ブログ名が「長い文章を書きたい」なので長い文章を書く方法について検索した人がたどり着くことがあるっぽい、そういう内容では全くなくてすいません。
23時頃から本当にいろいろ無理になって、それまでの陽気な気分はどこやらというくらい苦しくなった。どうしようもない。うおー。基本的にふざけているかふざけてないかで言ったらふざけている側にいたい気がした。
7/27
北海道のお土産でラベンダーの香りの石鹸をもらった。ラベンダーの香りは苦手だったのに、最近はラベンダーの香りだ〜いすきって感じ。ラベンダーの香りのもの集めたい。相変わらず悲しいニュースが多い。
7/28
勉強すべきなのに全くせず。外にも飲み物を買うために出ただけだった。台風がきていて天候が不安定だ。ツールドフランスではゲラント・トーマスのマイヨジョーヌが確定。おめでとう!フジロックをみたりツールドフランスをみたりで贅沢だ。本を読みながら寝落ち。
7/29
きょうも何もせず。家から一歩も出なかった。胃の調子が悪い。また昼過ぎまで寝てしまった。そして夜中まで結局何にも手をつけていない。あらー。やらなきゃな。フジロックもツールドフランスもおわりですね。楽しかった。
脇に縫い目のないTシャツしか着たくない
いや、それ以外の服も普通に着てるんだけど。
スカボローフェアの話じゃないです。
にしても暑いですね。毎日毎日死んじゃう♡って思いながら外に出ている。帽子とサングラスが欠かせない毎日。
こうも暑いといかに快適に過ごすかを考えてしまう。
なので数日ざっくりとしたTシャツで過ごしていた。久しぶりにちゃんとした(?)洋服を着たところ、なんだか心地が悪い。たぶん脇の縫い目だ。
ほら、最近のTシャツって脇に縫い目のないやつ増えたじゃないですか。ユニクロのTシャツとかそうだと思う。
脇に縫い目がないからといって何にも変わらないと思っていた時期があった。たしかにあったんだ。でも今はそんなこと思わない。脇の縫い目がないとね、なんだかこう引っかかりがないんだ。寝返りとかちょっとしたときに不快感がない。別にそんなの感じたことないわーって思っている人は数日脇に縫い目のないTシャツで過ごしてみてほしい。わかると思う。このわけわからん日記を丹念に読んでいる人がいるかはわからないけど、脇に縫い目のないTシャツは本当に良いんだ。ストレスが少ないんだ。寝巻きにするにはもってこいだと思うし、レジャーにもいいと思う。肌着とか全部縫い目のないものにしたい。それくらい心地よい。
私の持っている脇に縫い目のないTシャツは主にバンドのグッズTシャツとパックTなんですけど、ちゃんとした服(?)を着なくていい日は脇に縫い目のないTシャツで過ごしている。家から一歩も出ないと決めた日はそのTシャツにハーパン履いてダラダラしている。脇に縫い目のないTシャツはそのダラダラの快適さを上げてくれる。
世の中のTシャツ全て脇に縫い目のないものになってほしい。
7/8
ぼんやりとしていたらフッと7月になっていた。6月の中頃から本当に暇になってしまって、やるべきことなんてものはほとんどなくなってしまった。いや、今のうちにやっておくべきことはたくさんある。間違いなくあると思う。全て後回しにしていて、行動にうつすこともなくぼんやりと多分あれしたほうがいいんだろうなーといった感じにしている。多分自分は一生こんな感じなんだろうなと思う。どうにかしなくちゃいけない。
最近は自分がどうなりたかったのかがわからなくなってきている。それだけじゃない、自分のなかでこうしたいとかこうすべきだと思っていたこと全てが疑問に思えてくるようになった。全てに靄がかかってなにも見えないしわからない。毎日毎日とくになにかをしているわけでもないのに、なにかをしたような、なにかを知ったような気になっている。毎日必ずなにかを失っているはずなのに。
誰かが「〜な人が好き」と言っているのを見るたび自分にその特徴があるか、ない場合はその特徴を身につけようかと思ってしまう。そう思ってすぐにくだらない気持ち悪いと思う。その特徴を手に入れてどうしたいんだ。手に入れたところでそこにはどうしても"まがいもの"感がでるんじゃないか。その"まがいもの"感は間違いなくにおう。私自身その"まがいもの"感が本当に苦手だ。なんとなく相手を食い物にしてやろうということを感じるからかもしれない。全方位に好かれるなんて無理だ。わかっているのに誰からも好かれたいと思うなんてな。
性別でくくられてしまうことは仕方ないとわかっているのに、ふとしたことで悲しくなってしまう。何にでも「〜女子」とつけられてしまうことだとか。この基準が自分の中ですらわからない。仕方ないと諦めるしかないのか。わからない。仕方ないって人に言うのは良くても自分で自分に言うことはしたくないはずなのに。
相変わらず不安になるたび将来について考える。結婚をするかしないかからはじまる。最近は結婚を少しは信用するようになってきたので年を重ねたのだなと感じた。なんとなく自分はいつかパートのおばちゃんになるんだって思っていた。ならない、なれない気がする。私は仕事を辞めないだろうし(現時点ではそのつもりだ)、結婚や出産すらも不明だ。主婦になるという選択肢がない。
そういえば最近なんとなく思ったんですけど、人間が働く理由の一つに「生産活動を行いたいから」ということがあるのかもしれない。消費活動ばかりでなく自分で何かを生み出している実感がほしい。いまの私は喉から手が出るほどほしいよ。
おそらく土地を買うことも家を建てることもないだろう。お金のことを考えるのが好きじゃない。必要なのはわかっているし考えたほうがいいこともわかっているが、お金中心に考えるといろいろなことが私はできなくなる。だからお金を中心にしていろいろ考えることが苦手だ。
あー、良かった話をします。
可愛いワンピースを買った。
湖水浴に行く予定ができた。
5年ぶりくらいに女王蜂のライブに行った。しかもめっちゃ良かった。
果物をよく食べている。
おわります。
ハリーポッターシリーズとの距離感
さまざまな「なぜ?どうして?」が首をもたげてくる3時。肩こりなのか?わからないけれど、とにかく首やら肩やらが痛い、そして重い。
合わないから環境を変える、それが多くの場合で面倒であったり負担であるのにも関わらず実行できる人はすごいと個人的には思う。ので、その人たちを否定する人を見るたびに私は実行したことについて褒め称えようと思う。実行するのは素晴らしいよ、偉いよ。
ところで、みなさんはハリーポッターシリーズはお好きですか。
先日元恋人と別れ話をする際、雑談の中でハリーポッターシリーズをネタにしてバズったツイートを見せられたのだけれど、私はハリーポッターシリーズをほとんどみていないのでネタがわからず、曖昧に微笑むだけだった。ちなみにこの系統でいくとコナン映画やクレヨンしんちゃん映画、ドラえもん映画、ポケモン映画などはそれぞれ1〜2作ほどしか知らない上にほとんど内容を覚えていない。幼い頃はアンパンマンもみていなかったらしい。それは幼い頃から早起きができなかったからだけど。ずっと寝てた。本当にずっと寝てた。今でもだな。
ハリーポッターシリーズは幼い私には登場人物が多すぎて、あとクラス?チーム?別なのがいまいちわからず、没頭することができなかった。そしてなんとなくそれについて負い目を感じている。周りでは本当に流行っていたし、子どもだけで映画をみにいくという話も聞いた。いまだにみんなハリーポッターシリーズの話するし。
今更ハリーポッターシリーズの世界に入る勇気も出ず、しかし世の中は確実にハリーポッターシリーズの世界に興味を持ちエンターテイメントとして地位を築いている。USJが楽しめない。
ちなみにUSJには一度しか行ったことがない。しかも修学旅行。テーマパーク大好きなのにな。バックトゥザフューチャーが大好きすぎてあのアトラクションに連続で乗った。大好き。バックトゥザフューチャーの記念メダルとかまだ大事に持ってる。デロリアンのラジコン欲しい。
ハリーポッターシリーズは本当に身近なとこにまできている。姿形は見えずとも、すぐそこまできている。みんな笑顔で横文字を並べる。わからん、何だその横文字は。教えてくれ、置いてかないでくれ。教えられても覚えられないんだけど。
ハリーポッターシリーズはドラゴンフルーツみたいなものだ。スーパーなどで見かけるが食べたことがないし味の想像もできない異国のもの。近いようで遠い。
やはり1作目から映画をみるべきだろうか?それとも本?でもあまり興味がない。チャンスが巡ってくるといいんだけど。
私もエンターテイメント楽しみたい。
「一人でいるときの自分と誰かといるときの自分を同じにしなくちゃいけない」らしい
「一人でいるときの自分と誰かといるときの自分を同じにしなくちゃいけない」という話をきいた。難しいな。私は一人でいるときの自分のほうが好きだけれど、それが受け入れてもらえるのかは微妙だ。一人でいるときは誰かといるときよりも暗い。ツイッターの自分は一人でいるときの自分の状態に近い気がする。いつもではないし自分の考え方なんてコロコロと変わるので一概には言えないのですが。一人でいるときの自分は人に見せられたものではないので何かを隔てるくらいが丁度いい。
一人でいるときの考え方は偏っているよなと思うし、それを誰かといるときに出してしまったら距離を置かれてしまうような気がする。誰かといるときにはなるべく快活そうに自信があるように見られたい。そっちのが便利そうだから。しかしあまりにも一人でいるときの自分との差がありすぎて、後から自分がまたわけわからなくなることもある。一人でいるときは自分について少しでも理解しようとあれこれ考えるのに、その考えが見事に誰かといるときの自分によって粉砕される。こういったことがよくある。困る。なるべく悩まず気分よく生活したい。後悔したくないんだけどな。
なんだかいつも面白くない内容になる。なぜ自分がいつも苦しく思っているのかがわからない。私の人生はいたって普通だ。家庭環境も普通だし、小中学ではいじめられたが身体的ダメージを伴うものはなく、壮絶とは言えない程度のものだった。まあ本当にどこにでもある取るに足りないこと。その後の学生生活だって普通だ。どこでこうなったんだろうな。
今後はなんとか一人でいるときの自分と誰かといるときの自分を一緒にしたい。どちらかに偏るのではなく、折衷案を見つけたい。
別れた話
恋人と別れ、ああもういろんなことに気を揉まなくていいんだと思うとホッとした。常に連絡をしなくちゃいけないかもしれないという焦りから解放された。別れを切り出したのは相手からだった。間違いなく悪いのは私のほうだ。
会った瞬間に「痩せた?」と聞いてきたけれど痩せたんじゃなくてやつれたんだし、前髪を切ったからいつもと違って見えたんだよ。元恋人は気づかなかったけれど、2週間ぶりに会う人たちは気づいてくれた。多分だけれど、元恋人と私は合わなかったんだろうな。
ここ数年間にも何人かと付き合って別れた。大抵がワクワクもなくただ存在するだけといった感じで、ワクワク感の伴うお付き合いは1人くらいだったと思う。会うのが億劫に感じ、ストレスになるのはなぜだろう。18歳あたりからは本当に恋愛がそばにあり、好意を向けたし向けられた。にしても本当に連絡を取り合うのが苦手すぎる。即レスされると戸惑ってしまうがそれが普通なんだろうなと思う。なんとか頑張って即レスすることもあるが10分続けるのでもう限界だ。そもそも無理だからさ…。SNSの発展には感謝したいが最近開催されていたSNS展の展示のようにはあまり思わない。煩わしいと感じることの方が多い。
恋人と別れたことで、ああいよいよ私はこの土地から離れるんだろうなと強く感じた。新しい場所の住所、都道府県以下についてはもう両親以外には教えたくないと今は思っている。いや、もしかしたら本当にごくわずかいる友人数人には教えるかもしれない。わかんないけど。
新しいことがしたい。