どこにも行けない

結局どこにも行けない

落語・平林から祖父によせて

私は落語に詳しくはないんですけれど、幼い頃寝るときに祖父が落語を流しっぱなしにしていたこと、そして平林という落語をよく話してくれたことなどから、落語というと祖父を思い出します。

 

祖父は芸術を愛していた人で、映画も読書も好きな人だった。絵も上手、料理も上手、話も上手。そして職人で、金勘定が苦手だった。落語も好きで、夜、眠るときには落語を流していた。けれど、祖父はすぐに寝るので落語の最初の部分しか知らなかった。何年も、いや何十年も同じものをきいていたはずなのに、その落語の内容なんてちっとも知らない。

幼い頃は職人気質な祖父が作った木の車に乗って坂道を下っていた。私は祖父から釘の打ち方もノコギリの扱い方も教えてもらったし、なぜかお粥の作り方も祖父から教えてもらった。でも、父は祖父から直接教えてもらったことなどなく、祖父の作業している姿から学んできたと言っていた。孫にはトコトン甘い祖父だったからなぁ。私は孫の中でも末っ子だったから、本当に本当に可愛がってもらった。十数年前に祖父が胆石か何かで入院していたときにはしょっちゅう病室に遊びに行って疲れては病院の祖父のベッドで寝ていたりした。そんな私を祖父はいつも温かく迎えてくれた。

 

最近他人が落語を音読しているのをきいて、そういえば、祖父は落語のようなものをよく聞かせてくれていたな、と思い出した。「どっこいしょ」と勝手に呼んでいたけれど、果たしてあれの本当の話は何だったのか、今となってはもう聞けないがゆえに、現代っ子らしく検索窓に断片を打ち込み探した。それは「平林」という落語の演目を変えたものだと知った。

祖父が話してくれていたのは、「平林」そのままでなく、幼い私たちにわかりやすくするために、平林をリンゴに言いかえたものだった。

そんなことも知らず、ふと思い出してはいつも一人でポツポツ話してみたりするのだが、祖父のように面白く話せない。祖父が話してくれたものはあんなに面白かったのに。私はちっとも面白く話せなくて、夜中にベッドに正座してポツポツ思い出しながら練習していた。どうしたら上手く話せるようになるかな、上手く話せるようになったら報告しなきゃな、なんて思っていた。それから、幼い頃たくさん遊んでくれたことについて改めてお礼とあの遊び道具の数々について聞きにいかなくちゃな、とか考えている内に、祖父は自分で言葉を発することもできないくらい弱っていった。会いに行ったときには最近こんなことしてるんだよね、この間は阪神勝ったね、なんて一方的に話しかけることしかできなかった。祖父はうんうんと小さく頷くだけだった。

生きる気力を失いつつある祖父から目を背け続けた。会いに行くには少し遅かった。けれど、きっともうすぐ一時退院して、4月の祖父の誕生日にはみんなで誕生日会をするんだろうな、と思っていた矢先に亡くなってしまった。ここ数年は入退院を繰り返していたからきっとまた持ち直すと思っていた。誕生日をあんなに待ち遠しくしていたのにね。何にも伝えられなかった。祖父の葬式にはいろんな人が来た。行きつけだった喫茶店のマスターや年に一度の同窓会で会うらしい祖父の友人たち。祖父は人に好かれていたんだと思う。

 

その年の夏は祖父と相撲を見にいこう、落語も見にいこうと考えていた。バイト代で何とかなるだろうと。退院したら体の様子をみて一緒に散歩にでも行きたかった。また一緒に山に散策に行きたかった。もっといろんなことを教えてほしかった。今更何言ってんだろうなと思うけれど。私にはもう祖父という存在がなくなってしまった。