どこにも行けない

結局どこにも行けない

3/7 - ブックカバーが使える間に

ここ最近はずっとサリンジャーを読んでいる。自分の足りない頭では理解するのに時間が掛かるため、もうずっとそれほど分厚くもない文庫本を持ち歩いては開き、電車で座っては開きを続けている。本屋の名前が印字された紙のブックカバーの端がすり切れてきている。このブックカバーが使い物にならなくなる前にはなんとか読み終わりたい。

 

そういえば最近映画「天気の子」を観た。冒頭主人公の少年が村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(おそらく新書判)をカップ麵の重しにしているのが何度が描かれているが、それが居場所を見つけてから描かれていないのが個人的に一番印象に残った。家出少年が居場所なく東京の街を彷徨う(ホールデンの場合は自身の馴染みあるNYを彷徨っていた)。その主人公少年の家出理由なんておそらくそこまで大したことないんだろうなと思った。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を持ち歩くあたり、とにかく彼がいたその場所と折り合いがつかなかったんだろう。居場所見つけられてよかったね。世界がどうなろうが、個人の幸せを優先するなんてね、甘美な物語だわ。

 

最近は週末があまり楽しみではない。

週末になると誰かと会ったり過ごしたりする場合が多いため、何となく疲れる。いろいろと向いていないんだと、自分自身の嫌なところにばかり目が向いてしまう。みんなこんなことないんだろうか。自分の嫌なところも他人の嫌なところも全てにどうしようもない気持ちになって、自己嫌悪に陥るのを外出して人と話すたびにやっている。ああもう「生きづらそう」って言葉はかけられたくないな、気が滅入る。例えそう言われなくても大抵気は滅入っているんだけど、より気が滅入るんだよな。

自分自身が誰かの重荷になってしまうのが嫌だ。そんなことになるくらいなら孤独でいたい。